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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話(平成25年7月号)
会長法話『日々の営みが信仰実践』を拝読して

鈴木教会長ご講話の要旨
鈴木教会長2

【生活即信仰】
 会長先生は、“私たち在家の仏教徒にとって日々の生活は仏さまの教えを学び実践するところそのもので、呼ばれたら「はい」の返事をする、人と会ったら挨拶をする、はき物を揃える、人にやさしく接する、思いやる…。いつでもどこでも誰にでもそうしたことが自然にできるようになるには、仏さまの教えから学ぶのがなによりです。”と教えてくださっています。皆さま方、「はい」と返事をする、挨拶する、はき物を揃える、これら三つの実践はもう身につきましたか?
会長先生は、“日々明るく元気で過ごせることが信仰の功徳です。”と教えてくださっていますが、そこが基本ですね。皆さま方、明るく元気ですごしていますか?

 会長先生は、“仏さまの教えを「学ぶ、実践する」というと、学ぶことと実践することを別々に受けとめがちですが、学ぶは「真似る」と同じであり、学ぶこと実践することが伴って仏道といえます。”と教えてくださっています。
皆さま方、佼成会の理想の人としてどなたを真似ようとしていますか?開祖さまですか?開祖さまの何を真似ようとされているのですか?開祖さまは笑顔もあるし寛容の心もあるしその努力はすごいですね。
先日の『瀉瓶無遺』拝読のときにも、佼成会創立当初中野の店を法座所として使われていたときのこと、たくさんの信者さんが来られるので一晩たつとトイレが満タンになり汚れていたのですね。それを見てトイレ掃除をされたことを聞かせていただきました。「浄穢不二(じょうえふに)」という言葉がありますが、我々は汚いもの、きれいなものを別々のものと見がちですが、実相からすると同じものなのです。開祖さまは、三十歳そこそこの若い時に「浄穢不二」という修行もされているのです。すごいですね。
開祖さまはすばらしいお徳がたくさんありますので、自叙伝やご法話を何回も拝読させていただいてそのお徳の一つでもいいから、今月はこれを真似させていただこうという目標を持つことも意義のあることだと思います。

 教えが身につくかどうかは、朝起きてから寝るまでの我々の一日のありようが、仏さまが説いてくださるような、開祖さまが示してくださったようなものになっているかどうかですね。会長先生も、朝は誓願に目覚めて夜は一日どうだったかと振り返ろう、とお示しくださっています。会長先生は、森信三先生の「立腰(りつよう)」という言葉をよく引用されますが、腰骨をきちっと立てることを「立腰」といいます。腰をぐっと入れる、これは座禅をする時の姿勢で、その姿勢が一日持続できたらその人はまず大丈夫だと思いますね。怠け心はおきないですよ。森先生も、寝るとき以外の起きているときは仕事をせよ、凛(りん)として生きよとおっしゃっています。会長先生も精進、精進また精進とおっしゃっていますが、朝起きてから寝るまで油断するなということだと思います。

 さて、ここで皆さんに質問です。会長先生の奥さまは、会長先生が出かける際、いつも明るく「行ってらっしゃい」と言って見送っておられます。皆さんはどうですか?ご主人が出かけるとき明るく「行ってらっしゃい」と言っていますか?

【「生かされている」の気づき】
 会長先生は、“生かされていることに気づくとこの世のすべてに感謝せずにはいられません。”と言っておられます。生かされているということは、万物に支えられていることに気づくことです。食べるものも着るものも自分で作ったものではないのですね。空気も水も太陽光も無償で私たちを支えてくれています。つまり、大いなる一つのいのちに生かされているということに気づくことが、ある意味で「悟り」でもあるし「智慧」でもあります。佼成会の信仰のめざす境地は、「感謝」、「ありがとう」ということですね。そして、その気持ちがあるとやさしい態度になれます。

 先日、Kさんが説法されたとき、「すべてを仏さまのプレゼントとして感謝で肯定的に受けることなのだ」とスッと思えた、というのです。そうしたら、仏さまのお試しでしょうか、息子さんが殴られて帰ってきたそうです。Kさんは、瞬時に仏さまのプレゼントだと思えたので、動揺もなく加害者の学生さんをいたわるような気持ちになれて、息子さんとも良いかかわりが持て、息子はそんなに頑張ったのかという気持ちになれたのです。そして、相手(加害者)のお母さんから電話があったときに、いろいろアドバイスもできたそうです。今お手取り中ですが、息子さんが殴られたことがきっかけでお導きができると素晴らしいなと思わせていただきました。

「禅定」とか「智慧」は実践することが難しいと思いますが、会長先生は非常にやさしく解説してくださっています。「智慧」は「生かされていることに気づくこと」だそうです。そして、「その気づきから感謝で穏やかに生きること」が「禅定」の境地だそうです。こういうふうに説明していただくとわかり易いですね。このような境地をお互いさま目指したいと思います。

 今月のご法話は、「日常の営みが信仰実践」というテーマですが、要は、「ああ私も仏さまに生かされ、支えられていて、ありがたいな」という気づきと感謝の心を持たせていただこうということだと思います。
私も朝起きた時には必ず、「このいのちを仏さまに捧げますので、どうか仏さまのご用にお使いください」と念じさせていただいて、「いつもあらゆることを感謝で受けさせていただきます」とお誓いしています。「習い性となる」という言葉がありますが、毎日のお誓いも、続けていくうちに潜在意識、先ほど言った「習気(じっけ)」、即ち心の深いところまできれいに拭い去ることができます。そのような朝の一念を持つことも非常に大事だと思います。


                              花とアゲハ蝶



朔日参り(会長法話) | 15:49:46 | コメント(0)
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