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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話(平成24年11月号)
2012年11月1日(朔日参り・布薩の日ご命日式典にて)

〈智慧と慈悲が一つに〉

   陰徳 → 人に知れないように行なう善行
   陽徳 → 世間によく知られるような徳行
          徳を積み、徳を身につける→仏の世界へ向けての菩薩行
                     
    真理を悟ること               → 智慧    
    それを他人に伝えること→ 慈悲 
              智慧と慈悲が一体となるところ⇒如来の世界、仏の世界

   「徳を積む」=「徳を累(かさ)ねる」
 
                 善いことを繰り返し繰り返し行なう一瞬一瞬の実践が
                             ↓
                 心を豊かにし、喜びと楽しみをあじわうことができるのです。

〈日々徳行を〉

   「相手の過失を語るばかりでその徳分が見えないのは、自分に徳がないためである」

       相手の善いところを見よう、徳分を発見していこう = 智慧と慈悲が一つの心境
       そのような見方ができるとき、人は大きく成長しているとき。

     相手の徳(善いところ)が見えないとき ⇒ 智慧の眼が曇り、私たちが謙虚さを失っている状態
     「智慧の眼が曇っているな」と気づいたら ⇒ 「まず人さま」という利他の心を思い起こし、相手の善いところ
                                 に目を向けて、智慧と慈悲の心を取り戻そう

    ・道元禅師が作務の心得として示された三つの心
 

       生活の中で徳を養い、さまざまな場面でその徳分を発揮していく。

       私たちの生活の指針となり、開祖さまのお徳を端的に示している三つの心

          ・人さまの幸せを喜び、何ごとも感謝で行なう 「喜心(きしん)

          ・思いやりをもってことにあたる 「老心(ろうしん)

          ・すべてを大らかに観る 大心(だいしん)

    ・道風徳香一切に薫じ
  
       菩薩行をとおして、徳の香りが周囲を薫ずる生き方をしていきたいと思います。


《 鈴木教会長のお話の要旨 》
 
  『佼成』11月号 会長法話「徳を養い、発揮する」を拝読して


   ・会長先生のご法話は読みやすく、しかし、意味が深いので、理解するとか実行するのは大変難しいと思い
    ますが、今日、拝読するだけではなくて、折に触れて、徹底してご法話を何度も拝読させて頂いて、
    共どもに修行精進させて頂きたいと思います。
   ・開祖さまにとって、善根功徳を積まれることは、日常生活そのものであったようです。
    開祖さまにとっては、目の前の人を救うことも、世界平和の実現を目指すことも同じことなんだということです。
    我々も目の前の人を救うということ、地域社会のために貢献すること、根っこの心は一つなんですね。開祖さま
    ご自身非常に陰徳を積まれていたということです。我々も、どう徳が積めるか、真剣に考えたいですね。

 ○ お役は最高の功徳
   ・どんなに修行して、皆さんの心境が高まっても、悪いことをしていたら、果報は自分にも家族にも及ぶという
    ことですね。良いことをしていれば、その“積善の家に余慶あり”ということで、いいことをした所は必ず幸せに
    なるということです。
   ・我々がご法のお役を頂くということは、人様のために、自らの体を使って、人々に寄り添い、何とか仏道に
    導いて救ってあげようという、その行為は最高の功徳。心の面の成長と、現実的な意味での幸せ、その両方
    を共に得ることができる。
   ・お役は「させて頂くありがたさ」。自分がやってやるではなくて、仏様、開祖さま、会長先生のお徳によって、
    教えによって「させて頂くありがたさ」、そういう心境でこれからも功徳を積ませて頂きたい。お役もしっかり、
    取り組みたいと思います。

 ○徳を身につけるとは
   ・徳という字は、本来、『悳』と書いてトクと読んだそうです。
    辞書によりますと、本来もっている良心ですね。それを磨き上げる。そして人格を完成するという意味がある
    そうです。良心を仏心といってもいいです。
   ・この場合の徳というのは、我々の本性である仏心とか仏性を磨いていく行いが、徳行だということです。
    仏の心というのは四無量心ですね。慈悲喜捨の心をもって、人々のためにと尽くすこと。これはまさに本心を
    開発し、徳を身につけるということになるということですね。
   ・会長先生は、「徳を積み、徳を身につけるとは仏の世界に向けての菩薩行にほかならない」。現実の功徳
    ということと、今度は菩提心を起こして仏になるということと、両方の意味が、この徳にはあるということで
    ございます。
   ・私たちは、功徳の積み方によって六道をグルグル回っている、みなさんは六道のどこにいるのですか。
    皆さんは、すでに菩薩界にいるのです。まだ本当の菩薩といえるかどうかわかりませんが、みんな立派な
    菩薩さまです。
   ・善根功徳を積んで、心田を耕して、その状態でないと、悟りの種をまいても芽が出ません。だから、皆さん方
    はもう善根功徳を積んで、心田が耕されておりますから、仏の教えを聞けば聞くほど、修行すればするほど、
    やがて、芽が出て、葉がつき、やがて花が咲きます。ついには悟りを得ることができるだろうと思います。
   ・しかし、今世だけの修行で悟りを得ようと欲張ってはいけない。あの天才的な弟子、舎利弗だって無限の
    時間、修行されているんです。ただ方便品にあるように、童子が戯れて砂で仏塔を作っても、それが悟りの
    因になるというんですから、我々は安心していいんですよ。これだけ善根功徳を積んでいるんですから。
   ・徳のある人は弧ならず。徳のある人のまわりは自ずから人が集まる。花が咲けば蜜を求めて蜂がやって
    きます。徳のある人は目に見えない光を発しているような人だと思いますね。自分に徳があるのか、ないのか
    と振り返るとするなら、私のまわりに人が集まるのかな。それともいつも孤独かな。ということも、ひとつ考える
    ヒントになりますよね。徳は弧ならずです。
   ・人の悪口をいうヒマがあるなら会長先生は自らを内省しなさいとおっしゃっています。人の悪口や批判の反対
    は何か、ほめることです。
   ・開祖さまもほめることは仏性開顕の第一歩とおっしゃっています。
   ・人の悪口、批判はやめて愚痴を言わない。人の悪いところが見えたら、妄想、執着の表れだな、人のいい
    ところが見えたときは、わが仏心が少し開いているときだなということです。いいとこ探しをしましょう。まわりの
    人のいいところを見つけましょう。

 ○道元禅師が作務の心得として示された三つの心 「喜心」「老心」「大心」
     
     人さまの幸せを喜び、何ごとも感謝で行なう「喜心(きしん)」
     思いやりをもってことにあたる「老心(ろうしん)」
     すべてを大らかに観る「大心(だいしん)」

   ・この言葉を、今月もトイレに書きましょう。今月は「喜心」「老心」「大心」の心をもって、すべての方に
    ふれあいたいと思います。
   ・今月は開祖さま生誕会の月、開祖さまが喜ばれることは、我々が法華経を実践することだと思います。
    開祖さまに倣い、真似をして、一歩でも開祖さまに近づこうと努力することが一番喜ばれることだと思います。
   ・開祖さまの生前のご法話は、必ず導きで閉められています。導きを通して私自身の心を見つめ直す。ここに
    いるすべての人、一人が一人を導く尊い修行です。発菩提心が大事です。問題意識を持って、困っている人
    がいたら声をかけてみましょう。導きのプロセスが大事、勇気をもって一歩を踏み出して頂きたいと思います。
    来月は導きの子を連れて道場に集まってもらいたいですね。どうぞよろしくお願いいたします。




〈参考資料〉 鈴木教会長が引用された文章より

 ○開祖さまご著書『瀉瓶無遺』214 (P.296)より抜粋、阿那律の説話から
    お釈迦さまのお弟子に、夜も眠らずに修行して失明してしまった阿那律という人がいました。あるとき衣の
   ほころびを縫おうとしましたが、針に糸が通せません。「どなたか私のために功徳を積んでくださる方はいない
   だろうか」と声をかけると、すぐさま「私に功徳を積ませてほしい」という声がありました。それがお釈迦さまの
   お声だったのです。阿那律が驚いて「世尊ほどの方が、さらに功徳を積んで幸せを求められるとは……」と
   申しあげると、お釈迦さまは「私こそ、だれよりも功徳を積んで幸せになりたいのだよ」と静かに答えられたと
   伝えられています。

 ○「無功徳(むくどく)」
    中国禅宗の開祖とされる菩提達磨は、釈尊から正法を受け継いだ摩訶迦葉を第一祖とするインド禅の
   第二十七祖般若多羅について嗣法し、第二十八祖となった。その後、般若多羅が亡くなって六十七年後、
   師の遺命によって海路を三年かけて中国の南海、つまり広州に着いたとされる。南北朝時代の梁の普通元
   (五百二十)年九月のことだったという。翌二年、梁の武帝と会見した。武帝は仏心天子といわれ、よく仏教に
   帰依し、仏教を保護していた。
   武帝はこのようにいった。
    「朕は、即位してからこのかた、寺を建て、写経をし、僧を供養してきたが、それはいちいち数え切れないほど
     である。いったいそのことによって、どのような功徳があるのか」
    「無功徳(なんの功徳もありません)」これが達磨の答えである。武帝はなお問うていった。
    「どうして功徳がないのか」
    「功徳とは、人間界と天上界の小さな果報で、かえって煩悩の原因になります。因と縁とは影が形に従う
     ようなもので、功徳があるといっても真の功徳ではありません。」
    「真の功徳とはどういうものか」武帝は問うのであります。すると、
    「さとりの智慧はまことに微妙であり円満であって、実態はなく空寂なものです。このようなものは、いくら
     善行を積んだところで、世俗では求めることはできません」
    「世俗のものではない最高の真理、仏教の教えの根本真理とはどのようなものか」
    「仏教の教えは広大深遠で、根本真理などありません」
    「朕の目の前にいるのは、いったい誰なのか。空ではないのか」
    「不識(しらず)」
  武帝はついに達磨のいうことがつかめなかった。達磨はまだ機縁がまだ熟していないのを知り、ひそかに梁を
  去った。それから北朝の仏教文化の中心地魏の洛陽に行き、永寧寺の華麗で精微な建物を見て、このような
  寺院はインドのどこにもないと感じ、嵩山の少林寺に籠った。そこで壁に向かって九年の座禅をした。心を壁の
  ようにしてひたすら座禅を続けたということである。
                                           〔立松和平『禅語に生きる』(淡交社)より〕



朔日参り(会長法話) | 09:11:55 | コメント(1)
コメント
1日参りが出来ない者にとって、WEB上でこのような尊いお話を読ませて頂くのは有り難いです。色々御苦労があったと思いますが、教会長さんのお話を身を置く場で意識し実践していきたいと思いました。
2012-11-18 日 10:22:21 | URL | 今日は父の誕生日 [編集]
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