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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話 平成29年5月号
会長法話 「させていただく」を拝読して

齋藤教会長講話の要旨
 今月は会長先生より、「させていただく」というご法話をいただきました。

【 無限のつながりのなかで 】
 
私たちは、無限のつながりの中で生かされていて、縁起の教えを頂いるわけですが、「させていただく」について、工学博士、ロボット博士として知られる森政弘先生からつぎのように教えて頂きました。

「仏教では『させていただく』という受け止め方をするが、それは、なにごとも自分の力だけではできないからである」

ロボットというものをつくることによって人間というものを考え、科学と仏教を一緒に考えてこられた森先生らしいおことばです。

 たとえば、自分の力で立っていると思っている人も、「じつは大地の支えや重力があるからであって、何をするにしてもただ一つの原因とか、自分だけの力によるのではなく、他の力などによって可能なのである」というのです。 

 会長先生の年頭ご法話の中にも太陽の光、水、空気、動植物など、宇宙の一切合切のおかげさまで私たちは生かされているんだというお話がありました。また、私たちは自分の力で生きているのではなく、両親や祖先はもちろん、周囲の人々のおかげさまで、生かされている。そして、さらに、手が動く、歩ける、食事ができる、呼吸ができる、話せる、眠れるなど、すでにめぐまれていることがたくさんあるということをお話し下さいました。

 本当に、あらゆるもののおかげさま、他の力によって生かされている、自分だけの力ではないんだということをロボット博士も確認してくださいました。

 曹洞宗の青山俊董師は、そのことを「世界の一切のことはどんな小さなことも漏れることなくぶっつづきに、あいかかわりあって存在する」とわかりやすく説かれています。 根が土の中で栄養を吸っているから花は咲く。ものごとはすべて、かかわる縁の作用で生じたり滅したりするーすなわち縁起ということです。このような宗教的な世界観から生まれた表現が、「させていただく」なのです。
 ある教会長さんが、文化庁の中に「させていただく」ということばが定義されていて、相手(他者)の許可をいただいてすることを、「させていただく」、もっと言えば、神仏にお仕えさせて頂くという意味合いもあるということを分けてくださいました。また、日常的に使っているが、神仏に仕えていくという心をあまり意識したことがなく、そういう気持ちが抜けていたなとお話しくださいました。

 欽司郎先生が、よく縁起の話をしてくださる時に、「持ちつ持たれつ、すべてが支えあっているということなんだ」とおっしゃっていました。持ちつ持たれつの世界、それは、宗教的世界観からいうと、「させていただく」ということなのであります。

 この言葉には、「生かそう、生かそう」とはたらいてくださる大いなるものに対する、感謝の念が含まれているといえます。「おかげさまでさせていただくことがができます」という気持ちです。

 また、「させていただく」は、自分の行ないを謙虚に表現する場合にも使います。そのとき、口にする側と聞く側に、気持ちのずれが生じることもあるようです。「表面的にはていねいだが、思い上がった物言いに聞こえる」とか「謙虚なようで自己をアピールしている」と受け止められることもあるのです。そのような誤解が生まれるのなら、より主体的に「させてもらいます」と伝えるほうがいい場合もあるように思います。

 「あらゆるもののおかげさまで」という気持ちから、自然に「させていただく」といえる私たちでありたいものであります。

 会長先生からその様な目標も示して頂いているのだと思わせて頂きました。

【 仏さへの感謝 】
 私たちは、ふだん何気なく「させていただきます」と口にします。それは、「おかげさまでとりくむことができます」「させていただけることがありがたい」という気持ちのあらわれです。この「おかげさま」や「ありがたい」を忘れてしまうと、「している」とか「してやる」といった自我が顔をだします。

 「させていただく」の前後に「おかげさまで」や「ありがたい」ということばを一緒に言わせて頂き、くり返し、くり返し、形をととのえていくと、縁起観ですから、自然とおかげさまで有難いという縁に自分自身がなっていくのです。実践しながら、身につけていくことが大事なのです。 
 たとえば、今日もお当番に来させていただいてありがたい。本部参拝のおかさまで、元気で本部に行けることがありがたい。
           
「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていくと、縁起の教えがしっかりと胸に刻まれ、薫習、薫染と教えて頂くように、少しずつ、少しずつ身についてきて、そして、いつしか、いつでも心からそう言えるようになるのではないでしょうか。理想をいうと、そうなれば「させていただく」その感謝の実践は、仏・菩薩の遊戯三昧のような、とらわれのないうれしさ、楽しさにつながりそうです。

 そして、「させていただく」ことがうれしく、楽しくなって、仏・菩薩の遊戯三昧のような、条件とか、環境とかではなく、自然とうれしいな、楽しいなそんな思いにつながるようなとらわれのない境地になっていくことが理想であると、確認して頂きました。

 心から「させていただきます」といい、神仏への感謝の念をもってとりくんでいることでも、それが必ずしも喜びや楽しさに直結しないケースもあるでしょう。つらい、いやだ、苦しいという気持ちになってしまうこともある。愚痴や弱音を吐きたくなるときがあるのも自然なことですよ!と、会長先生はいつもやさしく私たちを救ってくださいます、その様なお心を感じる一節ですね。

 だからこそ、信仰をもつ私たちは、日頃の生活の中で仏さまへの帰依の念を養い、「大いなるものに生かされている自分なのだ」という自覚と感謝に目ざめることが大事なのだと思います。

 すべてがはからいの中にある。生きとし生けるものすべてが仏さまと同じ尊い存在だ、仏性ありきということをしっかりと、くり返し、くり返し学び、仏さまの、また、教えの尊さに、帰依の念を養っていく。生かされている尊いいのちであるということを自覚し、宇宙の一切合切、ありとあらゆるもののおかげさまと感謝をしていく。日々の生活、修行、精進を通しながら、自覚と感謝を新たにし、そのことに目ざめていくことが大事なのです。

 あらためて、今年は会長先生より「有り難し」という心になれることが大事であり、宇宙の一切合切に、生かされている、そして、おかげさまのなかに有り難しを感じていくことが大事だとご指導いただいています。

 会長先生は、今年の年頭ご法話を毎月のご法話の中でより細かく、かみくだいて、私たちにお示しくださっているのだと思わせて頂きます。そして、その大本は、「真因」というお書初めで示してくださった様に、「悟りに至る真実の原因は、みんな一人ひとり、自分自身がもっているんですよ」ということでした。幸せになるのも、不幸せになるのも、自分自身が選択して決めていくことなのですよ!その真因としての自分の自覚と感謝をしっかりともって、謙虚に少しでも人さまのためにさせていただくことが大事なのですよ!と教えて頂きました。
 その様な意味で、教えを伝える布教伝道により一層力を注いでいける私たちでありたい!と思わせて頂きました。

 今朝、御供養の後に今日一日のお誓いのことば、「明るい気持ちで無事にこの日を迎えさせていただいた感謝を呼び起こしましょう。」を読ませていただきました。
 一日を迎え、また新たな一カ月のスタートです。今日、本当に明るい気持ちで無事にこの日を迎えさせていただいた感謝を呼び起こしていこう、それが、この月の初めの一日の大事な心構えですよと教えていただいたような気がします。
 本当に、一日一日、私たちは、過去も未来も生きられない、今しか生きられない。だからこそ、目の前にあること、今日一日の出会い・ふれあい、一つ ひとつのご縁を大切にしていく。そんな中で、精一杯、この教えに出遇えた悦びを伝えていくということが私たちにできる慈悲の実践、菩薩行としての一番大事なことだと教えて頂いています。
 また、しっかりとその思いをお互いさまに深めながら、布教伝道に向かっても感謝の心でさせていただく、そんな一人ひとりでありたいなと思わせて頂きます。
 また、今月も皆さんとともに、明るく、楽しく、ありがたく修行させて頂きたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。     合掌

齋藤教会長のご講話を聴かせて頂いて

 「させていただく」ということばの持つ深い意味を学ばせていただくことができました。「おかげさま」、「ありがたい」を忘れず、まず、形から、くり返し「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていき、心からそう言える自分になれるよう、修行精進させていただきます。ありがとうございました。
                                          文責者    Y . F


朔日参り(会長法話) | 12:00:00 | コメント(0)
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