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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話  平成28年4月号
会長法話『あなたも私も、みな仏』を拝読して

齋藤教会長ご講話の要旨

 4月号のご法話は、「降誕会を通して、改めて一人ひとりのいのちの尊さ、素晴らしさ、不思議さ、ありがたさに気づいていくことが大事である」という思いで、会長先生がお言葉をくださったのだと思います。

【 衆生と仏は一つ 】

 誕生仏が天と地を指さして「天上天下唯我独尊」と言われた説話のように、すべての存在が尊い存在だとお示し頂いております。
しかし、私たちは、そう言って頂いても、心のどこかに自分と仏さまと距離を感じてしまっています。善い行いや人さまのために思いやりの実践をさせて頂いていますが、でもお釈迦さまのように、智慧と慈悲をそなえているような存在ではないと思っています。会長先生は「衆生と仏は一つ」ということを、様々なたとえをひいて、私たちにそのことをお示しくださっています。
 「生仏一如」(しょうぶついちにょ)衆生は本来仏なのだ、本質においては一緒であり一つなのだと、白隠禅師の『座禅和讃』のことばを引用して確認してくださいました。
 臨済宗の山田無文師は、「衆生本来仏なり」の一句は「仏教の根本原理」と言われています。「衆生と仏は一つ」を悟ることが仏法の基本、根本原理なのだということです。
 先月のご法話で、会長先生は「自他とものいのちの尊さに気づくと、悪をなさず善いことをなしていける」と、思いやり・慈悲の実践こそが仏教徒としての生き方であるということでしたから、まさに「衆生本来仏なり」をしっかりと悟ることができたなら、仏教の根本原理が悟れたということなのです。それが救いであり、悟りであるということも確認させて頂いています。
そして、このことをすべての人にわからせるために、長い長い年月、あの手この手と教化に工夫を重ねてきてくださっていたということです。開祖さまも同じように、「この尊さに気づけよ」と、私たちに伝え続けてきてくださっていたのだな、そんなふうに思います。
 
 笑顔であいさつを交わすと心が和んだり、人の苦悩を知れば胸が痛み、人の喜ぶ顔を見ると嬉しくなるのも、私たちが生仏一如、凡聖不二(ぼんしょうふに)の身にあずかる人間だからでしょう。

 笑顔に心和んだり、人の苦しみに胸が痛む、人の喜ぶ顔を見ると嬉しくなる、それは、私たちの心、からだの中に、魂の中に、「生仏一如」、「凡聖不二」という心があるからなのです。だからこそ、いつもその自覚に立って歩み続けるために、日々の精進があるのだとお示しくださいました。
 私たちは、そのことを忘れているかもしれない、本来の尊い存在である一人ひとりのいのち、その役割に気づいていないのかもしれない。だからこそ、その自覚に立って歩むために、日々の精進があるのだと、確認してくださいました。

【 真(まこと)の自分を知る 】

 仏とは、まさに、自らの尊さに気づき、真(まこと)の自分を知っている存在であるということです。すでに自分の中に「生仏一如」という存在がありながらも、妄想と執着にとらわれているからわからないのだ、そのとらわれからほどけるから、ほとけというのだと、そんなふうにも教えて頂きました。
 ほとけになっていく、妄想、執着から離れていく、そのことが大事である。悩み苦しみ、喜怒哀楽が出てもいい、でもそのことにとらわれるから苦が生じる。妄想、執着にとらわれない、第二の矢を受けないということが大事であり、そういう状態になればほどけていく、仏としての自分自身を見いだせるということであります。
 昔の禅僧が、自分に「おい、主人公」と呼びかけ、自ら「はい」と答えたように、自分が主人公なのだという自覚を持つ、自分が仏と一体であることを忘れない工夫をする。会長先生が「温習」という書初めでお示し頂いたように、繰り返し繰り返し、自分に問うて答えていくということも大事なのです。

 真の自分を知る。生仏一如と気づく。それが、私たちの一生のテーマです。

 「真の自分を知る。生仏一如と気づく」これを、自分自身の一生のテーマとして歩んでいけばいいのだということです。仏性があるからこそ精進をせずにいられないのです。繰返し繰り返し、自らを高めていく、真の自分を知っていく、降誕会の月であり、私たちにとって新年度を迎えた中で、心新たに精進をお誓いすることが大切なのだと思います。
目の前の事に精一杯取り組む、そして、自分にできることをコツコツと積み重ねていく、その実践をお誓いすることが大事であり、本来の真の自分に気づいていく、そのための歩みとして、目の前の事に精進を繰り返していくことです。
 会長先生の「精進、精進、死ぬまで精進、生まれ変わっても精進」というお言葉の如く、精進することが当たり前、人間の本領であり、真の自分の心、仏さまと同じ心があるからこそ、そうなるのです。仏向上(ぶつこうじょう)の人となる、そんな自分づくり、自分に気づくために、目の前の事に懸命に取り組ませて頂きましょう。
 世界を平和にするという願いをもった開祖さまは、夢物語ではなく、ご自身が一歩一歩、歩む道のり、日々の生活の中で実践して来られた御姿がありました。私たちも開祖さまと同じ尊い仏性を頂いているのです。開祖さまの直弟子として、一人ひとりの尊さに気づき、開祖さまの歩みと実践をしっかりとかみしめて、釈尊降誕の月、開祖生誕110年の年、精進させて頂きたいと思います。
 今月も一か月間、ともに「明るく、優しく、温かく」精進させて頂きましょう。


朔日参り(会長法話) | 16:15:45 | コメント(0)
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