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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話 平成27年4月号
会長法話『未熟を自覚する』を拝読して

鈴木教会長ご講話の要旨

【 一路向上 】

 「私は何でも知っている」という思い込みがあるのが人間かもしれません。しかし、「自分は足りない、何も知らない」という謙虚な心があると、一路向上する。「もっともっと勉強しなくては」、「人から教えて頂こう」という心を、いつも持つことが大事だということですね。
 この世界は久遠の仏さま、村上和雄先生の言われるサムシンググレイト、万物は仏さまの愛の現われです。私たちは好きだ、嫌いだ、損だ、得だという色んな思いがあり、それで実相、仏の世界が見えないのです。私にとって都合のいいものや人は仏さま、ちょっと不都合なものは嫌だという。そうした我儘(わがまま)なものの見方の枠組みを取り払うと、この世界は仏さまの光に満ち満ちています。
 皆さん、全ての人を、嫌いな人も含めて尊敬できますか。キリストは「汝の敵を愛せよ」と言っておられます。「愛の反対は無関心」と言われます。家族でもどなたでも関心を持つこが愛することになります。それには相手に関心を抱いてよく見てあげることです。たまには、奥さんの手を1分間見つめてみてはどうでしょう。子供たちも私も、妻のこの手に支えられてきたのか思うと、いとおしくなると思います。
 相手の人や物事なりをよく見つめることが大事だと思います。ゆっくり、一つの対象に心を置くことが現代生活では難しくなっていますが、今日、家に帰ったらご主人と向き合って頂いて、「何十年間、ありがとうございます」と、お互いの目をじっと1分間ぐらい、見つめてみてはどうでしょうか。その時何を感じるのか、そんな時間も大事です。

 未熟さや愚かさは、それを自覚すれば、いつでも向上のきっかけになります。
 「智慧の心」とは何かといえば、それは「生かされている」という人間としての本然の気づきだと思います。それをとおして謙虚に、素直になるとき、あらゆる可能性の扉が開かれるのです。

 100%生かされていると感じられたら、もうある意味で悟りかもしれない。仏さまは、いつでもここに住して法を説いていらっしゃることを信じられたら、その人はもう仏と一体となっていると言ってもいいでしょう。

【 幸せな人生の基 】

 親鸞上人や良寛禅師のようにりっぱなお坊さま方は、自分を直視され、自分は愚かで足りないというお心を持たれ、そういう自覚があるから命がけの修行をされたのではないかと思います。


その自覚は、「生かされている」という智慧とも相まって、人に対するやさしさや思いやりにつながり、そうして人と相和(あいわ)して暮らすことがほんとうの幸せの基にもなるのです。

 家庭が和気あいあいとしている人は、幸せだなと思えるでしょう。会員綱領にも「家庭、社会、国家、世界の平和境建設のため…」とあります。まずは我が家から平和になる、互いに尊敬しあい、尽しあう家庭になる、そこから世界の平和が始まるということです。その大元は「私なんかまだまだ足りない」と謙虚になることだと、会長先生は教えて下さっています。
 お互い様に「まず人さま」という心になれたら、“諸の菩薩所行の處に住す”(十功徳品)というように、仏さまの不思議な働きを感じられるのではないでしょうか。
今月は「まず人さま」という心で精進いたしましょう。

「桜ばな いのち一ぱいに咲くからに 生命(いのち)をかけて わが眺めたり」 岡本かの子の歌
 桜だけでなく、あらゆる存在を、いのちをかけて見る、集中してみる、そういう生き方をすれば世界は変わってくるのではないでしょうか。

私たちは愚かさを内に抱えながらそのままに、まさに「いのちいっぱい」生きるとき、大きな花が開くのだ思います。

「大きな花が開く」というのは、我々の悟りの花が開くということでしょう。会長先生が教えて下さっているように、今月は、まず人さまという気持ちで、一瞬一瞬「いのちいっぱい」という生き方をしていきたいと思います。




朔日参り(会長法話) | 14:00:00 | コメント(0)
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