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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話 平成26年12月号
会長法話『合掌の心』を拝読して

鈴木教会長ご講話の要旨

【謙虚に自己を見つめる】

師走を迎え、何かと忙しい中で自分の心を見つめる余裕が持ちにくい、そうした時だからこそ、会長先生は「一年を振り返りましょう」とおっしゃっています。今年自分はどういう生き方をしてきたのか。それぞれ、家庭や仕事、お役などで自己の全力を尽くしてきたのか、愛をもって人に接してきたのか、思いやりのある自分であったのだろうかと内省しようということです。

内省とは、辞書には自分の心の状態を省みてみようということです。一番大事なのは心ですね。皆さん、どうですか?愛と感謝に満ちた一年だったか、愚痴や不平不満の一年だったか、文句ばかり言っていたのか、まわりの人をいつもほめたたえていたか、そんなことを振り返ってみましょう。

 なぜ内省が大事なのでしょうか。13頁に「そうしたもろもろのことに目を向け、そこから精進の目標を見定め、晴れやかな気持ちで新たな年を迎えたいものです」とあります。会長先生はお優しい方ですので、会員さんが新年を晴れやかな気持ちで迎えられるように、そのためには自己点検も必要ということです。          自分はどんな人間なのか、自分の心のありようはどうなのか、欲が深いのか、布施の精神に富んでいるのか、そういうことを知ることによって、精進の目標が決まってくるのではないかと思います。
  経典の無量義経十功徳品に、ケチな人は布施を、冷たい人は慈悲の心を、怒りっぽい人は忍辱の心が大事とあります。自分がどういう気質を持っているのか、そういうことを見定めることによって、〈よし、来年はこういう所を克服して、こういう人間になるぞ〉と、それが精進の目標になると思います。 自分を知るという事は、なかなか難しいですね。我々の無意識の集合意識から立ち現われてくる心なので、自分ではコントロールはできないですね。

 皆さんは、年末の大掃除をされますか。我々が見ている世界は心のあらわれです。家の中がぐちゃぐちゃしているのは、心の中が整理整頓できていないんですね。善き神様に来て護ってもらうためにはきれいにすることです。ぜひ家の大掃除もして頂いて、同時に内省して、自分の心の中に積もったチリを掃除する。では、どうすれば掃除できるのでしょう。皆さんの心にはどれぐらいのチリやアクタがたまっているのでしょうか。
 人間の実相としたら、底が深くて見えないくらいです。過去世から何回も生まれ変わって見聞きしたものは全部、記憶として残っています。善いものも悪いものもいろんな思いが詰まっている、それをどうやって掃除していますか。
その心の大掃除の一番は、何といってもご供養です。心を込めて大きな声でご供養することです。そうすると、眼に見えない仏さまの光がやってきて、自分一人では、とても消えないような過去の業、カルマを消してもらえるのです。それだけでなく霊界で亡くなった方のゴミまでも掃除させて頂けるのです。
 皆さんの後ろにいる何万何十万というご先祖さまがたが、皆さんが菩薩行して功徳を積むこと、お経を唱え、心をきれいにしてくることをみな願って待っています。自分一人だけの行ではないのです。ご先祖様の代表が皆さんです。自分の気づけないチリアクタまで掃除するには、ご供養が一番だし、開祖さまは菩薩行、人の心配をすることによって、我が無くなる、本来自分の持っている本性、仏性が上に上がってきて、肉体に基づいたいろんな思いが消えて、晴れやかな気持ちで新年を迎えられるということです。

「右ほとけ 左はわれと 合わす手の なかぞゆかしき 南無の一声」 手を合わせるそのとき、私たちの心は神仏と一つになり、あらゆるもののおかげさまのなかで生かされている自分を知るというほどの意味でありましょう。

 我々は自分の力で努力して生きているのではなく、全部、仏さまから与えられて生かされているのです。あれがないこれがないと愚痴や不平を言うのは天にツバしているようなものです。全部、与えられている。皆さんそう思っていますか?

本会ではふだんから合掌してあいさつすることが自然と身についていますが、その姿勢と合掌礼拝の心は、謙虚に自己を見つめることに通じています。

 その自己とは、業としての自分だけではなくて、本来の仏としての自己、その尊厳性を見つめることでもあります。
 元々合掌することによって、「ああ、有り難いな。あなたも皆仏さま」と、その気持ちの延長線上に内省があるということですので、内省は自分を責めたり、自分を裁いたりすることではなくて、本来の命そのものの自己を見つめるということと、しかし、肉体を持っていると色んな思いになったり、肉体を守るために色んなことをする、だからその両方を見つめていくのが「合掌」であるということです。

中国の百丈懐海禅師(ひゃくじょうえかいぜんじ)が「この世で一番ありがたいことは何か」と尋ねられて「独坐大雄峰」(どくざだいゆうほう)と答えた話が残されています。

 会長先生は「独坐大雄峰」を「一番ありがたいのは、いま、ここに私が坐っていること、すなわち生きていることだ」と解釈されています。ここ、今、そのままが仏の世界です。我々は自我があり、自己中心で、妄想がいっぱい浮かび上がってきます。仏道修行すると色んな現象が出てくる、それは業を消してくれている姿です。
 会長先生のおっしゃる内省とは、単に自分の悪いところを責めるとかでなく、もっと命の本質という所までも見つめていこうということだと思います。

【人間に生まれたことを喜ぶ】

 常不軽菩薩の但行礼拝、「あなたも修行すれば仏になれます」と、ひたすら拝まれた菩薩さまです。佼成会の行法はこの常不軽菩薩に学ぼうということです。周りの人を皆、仏さまの現れと見れるでしょうか?私たちも仏さまの教えを繰り返し学んだ結果、必ず未来世のいつか仏になれるということを信じていますか?
 仏さまは、形なき大いなる命で、それは法則でもあります。だから、我々が法則に従って生きて、修行を始めて、信仰を持っていれば、必ず結果が出てきます。その積み重ねの中で、だんだん仏さまの教えが信じられるようになるのではないでしょうか。
 いつも仏さまとここにおられるという気持ち、これは最高の幸せではないでしょうか。同行二人というように、私一人ではなく仏さまと一緒に歩ませて頂いているんだということです。

 私たちにとっての大事な修行は、合掌の姿で相手を拝み、礼拝し、讃歎し、その人の仏性の花が開けるようなご縁になっていく、それが佼成会の会員の地上における今世の使命だということです。まずは形からですから、いつでも、どこでも合掌が出来るような我々でありたいですね。
 本当に相手の仏性を尊敬して拝まれたのは、開祖さまのお姿です。一足飛びに行かなくても、まず、形から、心を作っていくという意味で、「合掌」が大事です。合掌できると、安心して生きていけます。
 合掌の姿は、見るとほっとする、安心する力があります。お互い様、「合掌しながらすっきりとした気分で新年を迎えたいものです」という会長先生の親心です。
 今月は、「合掌の心」というテーマですから、合掌しながら自分自身を内省して、心の垢も取って、すっきりとした晴れやかな気持ちで、お互い様に新たな年を迎えたいと思います。今月も共々に修行精進させて頂きたいと思います。


朔日参り(会長法話) | 15:19:59 | コメント(0)
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