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当ブログは、立正佼成会広島教会での活動の紹介と、その活動を通しての会員の喜びや気付きなどを紹介しています。
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運用担当者
広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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一球入魂のホストファミリー考察(ホームステイを迎え)
 今年もまた高校球児たちに熱い夏が来た。我が家もまたホームステイを迎える夏がきた。
と言うのもホームステイの受け入れは何もこれが初めてではなく、過去十数年間イギリスの小学生を始めアメリカ他数カ国の子供から留学生、ツーリストを何度も、長期だと一ヶ月間も受け入れて来た経験があり大体の要領も心構えも持っていた…つもりだった。
だがその自負が瓦解する程の強烈なテーマと命題を私に残し彼女は広島を後にした。

 我々ホストファミリーとの顔合わせとスタッフ達の相互紹介も終えその後の本川小学校でのプログラムの後、私たちが受け入れるキャリーさん(57才)を我が家に連れて帰ったのは夜も九時を過ぎていた。
若干の疲れもみせながらも明るく積極的に私たち家族と気さくな会話をしてくれた。
私と妻は英語は苦手だが幸いボランティアスタッフでもある娘が通訳してくれるので会話には困らなかった。

妻と娘が席をはずしている間も延長戦に入ったカープの中継を眺めながらアメリカの野球チームのこと、活躍している日本人プレーヤーのこと、そしてさよならホームランでカープが負けて『日本ではこんなにあっけなく試合が終わるのか?』と質問され、いやいや野球のルールは日本もアメリカも同じだよと大笑いしその日は終えた。

ここまでは絵に描いたような親善ムードの中でホスト家の任務を全うできるものと思っていた。
少なくともイメージは素人ソフトボールの親睦ゲームさながらに。

 翌日の平和公園での式典・広島教会での式典と交流会を終えそれぞれのホームステイ先に分かれての各ホストファミリーとのプログラムとなり、私たちは我が家屋上での手巻き寿司と天ぷらとお好み焼きのおもてなしをした。
宇品支部の方達にお手伝い頂き、幸い雨もあがり支部の方達を交え無事開催する事ができお互い写真を撮ったり和気あいあいと時間が進んでいた時キャリーさんがおもむろに問いかけて来た。

 屋上1ミニ 屋上2ミニ

 『ここは爆心地からどれくらい離れているの?』
 
  (えっ? 今まで地図とかで測った事ないけど…)およそ3~4キロくらいと答えた。

 『この辺もかなりの死者がでたの?』  (た、たしか死者が出て云々という碑が小学校にあったな…)そうです。
この辺も被害を受けたがあの山(黄金山)とあちらの丘(比治山)の向こう側は直接熱射や爆風を受けずに被害が少なかったです。
(これは明確に答えられる) 彼女からの質問は続く。
それは私が想定していなかった分野にまで及んで来た。『日本人は(原爆を落とした)アメリカを憎んでいないのか?』

  (絶句。そんなストレートな球を投げるの?) ややうろたえながら答えた。
色々な考えはあるものの大多数の日本人はアメリカを憎んではいない。(でよかったよね?)
ここは政府の見解ではないにしろ、一般的な世論でいいの? 
それとも広島市民としての声? 
立正佼成会の見解? 
そもそも立正佼成会の見解って知らないし、私一個人の見解でいいの? 
この発言を聞いた被爆者とその家族はどう思うだろうか?
 色々な事が頭をよぎるなかでさらに質問は続く。

 通訳ミニ 討論ミニ

『ヒロヒトに責任はあると思うか?』
  (思わずのけぞった。ほとんど死球スレスレの内角責めだ。) 実際に当時天皇にどれほどの権限があったかどうかは分らないが少なくとも現代の日本では、軍部の力が政府を支配していたと思っている。(んだっけ?)と答えた。
もう持論である(笑)
『開戦当時の日本政府トップは誰ですか?』 

  (忘れた! 社会の教科書に目を通しておけばよかった。時すでに遅し)
 え~と犬養?鈴木?え~と…
『日本人は、悪いのはトウジョウだとは思っていないのか?』  (そう東條英機だ。彼女からまさかの答をもらってしまった)
 日本が負けたから戦争の責任を東條は負うたが、もし日本が勝っていれば原爆投下を指示したアメリカの指導者が逆に裁かれたと思う。(またもや持論である)

『では当時の日本軍部の最高指導者は誰だったのですか?』 嗚呼もはや分らない。そう私たちは原爆投下の実相であるとか被害状況だとか被爆者の声とかはそれなりに知っている。
しかしその当時の政治や軍部であるとか背景の詳細はよく覚えていない。
いや、近代歴史は学んだはずだが忘れているのだ。
今日ここへ来るために彼女はかなり詳細な事前学習をして来たのだ。
私はつい先程までソフトボールの親睦試合を和気あいあいとする気分でいたのだが、彼女は実に真摯に問題意識を持ちここへ臨んでいたのだ。
マウンドの上から真剣勝負を挑んでいた彼女に対し、何も考えず安易な構えでのほほんとバッターボックスに立っていた自分にやっと気づいた。

 これまでの外国人ホームステイの方々でこれほど踏み込んだ質問をした方はいないどころか質問や討論した人は皆無と言っていいほどで、平和公園へは足を延ばしてもホームステイ先での歴史的政治的質問はもしかしたらタブーなんだろうとさえ思っていた。
ただキャリーさんは純粋に聞いてみたかった事であろうし、原爆と戦争問題を真摯に取組んできて、私たちだからこそあえて聞いてみたんじゃないかと思う。
 支部の方達も答えに戸惑い、通訳する娘も専門用語が分らず彼女に上手く伝えられているか不安だったが、むしろキャリーさんが娘の語彙の訳を推し量って理解してくれたのは幸いだった。

 話を続けるなかで気づかせていただいたことは、我々にとって大事なことは、今ここでこうして違う国、違う民族、違う宗教の一市民が同じテーブルを囲んでこんな話題で熱くなれること自体なんじゃないかと。

こうして同じお皿の料理をつまんで隣り合わせで語り合える、このことが何よりも大切なんじゃないかと。

そして一市民の切実な平和への思いと願い・祈りの気持ちをそれぞれの国の為政者へ伝えていく姿勢と強い意志を持って世界の平和境建設への道を進もうと。

いつしかキャリーさんと強く手を握りしめその場にいた皆で誓いあった。
宗教は違えどもまるで法座みたいだ。
ヒロシマの片隅の住宅の屋上で、まだ陽も明るい中でこんな話をしてるだなんて、よもや誰も思うまい。
 すごいぞASC。すごいぞRKK。
 開祖さまは世界各国を巡りあらゆる宗教指導者を始め国際的リーダーと話し合い手を携え世界平和に尽力されましたが、その草の根たる一会員である我々にもできうる事は何かを教えて頂いた瞬間でした。

 我が家屋上での手巻き寿司パーティーを終え、灯ろう流しを体験してもらうべくキャリーさんと私たち家族で平和公園に向かった。
灯籠メッセージミニ 灯籠流しにてミニ

日も暮れ川面に浮ぶ多くの灯ろうと同様、キャリーさんも灯ろうにメッセージを託し静かに流した。
岸から離れて漂う灯ろうをいつまでも見つめカメラに収めた。
彼女がそこにどのような思いを託したか知る由も無いが、恐らくワシントンに帰ってから多くの人々に平和への思いを伝えてくれるものと思う。 原爆ドームの側でベンチに座り川面を眺めていた。
こんなに近くに住んでいて灯ろう流しに来たのはかれこれ十数年ぶりだ。
このご縁が無ければ今年も来ていないだろう。
ドームミニ ドーム前で語るミニ

 相生橋のたもとの碑の前で立ち止まった。
したり顔で解説でもしようと見てみたが、崩した草書体で文語調の詩。
しどろもどろで詠んでみたものの意味不明でキャリーさんに解説するどころか家族にも説明できず、挙げ句の果て県外からの観光客らしきファミリーも耳を傾けて来る始末にそそくさと逃げる様に立ち去ってしまった。
相生橋を後にし本川小学校前を歩くとキャリーさんから聞かれた。
戦争孤児たちは施設で育てられた後その施設はどうなったのか?と。
私は答えた。
今でも事情により親に代わって子供達を育てる施設として存続していることを。(確かそうだったがうろ覚え) 結局私は知っているつもりの守備範囲が狭く、果たしてキャリーさんの問いかけにどれだけ応えられたのだろうか。
今回の様な熱心で探究心のあるゲストに対し被爆地のホストファミリーとして矜持をもっていたといえるだろうか。
自問自答は今も続く
 受け入れるボランティアスタッフは今後も勉強を続けて知識は深めていくべきだし、迎えるホストファミリーのハードルを殊更高くするのは避け、もっと気軽に多くの方々に参加してもらうべきであろう。
海外のホストファミリーはそれほど気を使わず勝手に過ごしてというスタンスで、日本のホームステイの “おもてなし ”感はそれほどでもないケースが多いと聞いている。

 ただ観光メインのツーリストと違い、平和交流のホームステイを受け入れるホスト家自身がある程度の知識と情報は持っていた方がもちろん良いのは言うに及ばず。
今回のように逆に非常に学習の必要性に気づかせてもらった。これを機会に少しずつ取り組んでみたいと思う。
今さらの英会話は無理としても。
 広島駅での別れ際、キャリーさんから果物が入った袋を戴いた。
彼女のお父さんが好きだったグレープフルーツ お母さんが好きだったブルーベリー、そしてキャリーさん自身が好きなリンゴ。
キャリーさんが私たちを一人ずつ抱きしめて家族だと言ってくれた。
果物の意味が何となく分かってきたら涙が止まらなかった。
 後日、相生橋の碑を調べてみた。

【鈴木三重吉(すすきみえきち)文学碑】というそうだ。
 
 “私は永遠に夢を持つ
    ただ年少時のごとく
   ために悩むこと浅きのみ”

そもそも鈴木三重吉が誰なのかすらわからない。
明治時代に“千鳥”等を発表した広島出身の児童文学作家で大正7年創刊の児童文学誌“赤い鳥”の主宰者だという。
かろうじて赤い鳥なら聞いた事がある。
我が身の無知無学ぶりを露呈してしまった。
この歳でも知らないことが多過ぎる。
 これからは余暇を生かし少しずつでも広島の街を歩いてみようと思う。
今まで何も疑問に思わなかった小さなことでも調べてみよう。

今度来日来広されるゲストに少しでも多くの質問に答えられるようになりたいと思う。

それが今私にできうる平和への活動だと信じて。
鈴木三重吉

 広島教会 宇品支部 H.K

平和活動 | 13:15:11 | コメント(0)
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