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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話(平成26年6月号)
会長法話「悦びを伝える」を拝読して

鈴木教会長ご講話の要旨

 今年、会長先生は、一年を通して、「悦び」を、一人でも多くの人に伝えていこうと投げかけをして頂いています。
 今月号のご法話は、まさに「悦びを伝えよう」ということでございます。

【悦びを分かち合う】

 年頭に、会長先生のご法話「悦びを伝えよう」を頂きましたので、私もこのご法話を拝読し、自分自身がどれだけ
多くの人に悦びを伝えられてきたかなと振り返ってみました。これが簡単なようで難しいことです。
本当は一瞬一瞬、目にふれるもの聞くものが悦びとなり、感動となれば自ずから悦びを伝えられたのではないかと
思います。自分自身の悦びを伝えられるようになるには、悦べる自分になる精進が必要だなと大いに反省している
ところでございます。

小さな子どもが見たことや聞いたことを母親にうれしそうに話す様子は、ほのぼのとして心なごむものです。

キリスト教でも、天国に行けるのは赤ちゃんのような心(心境)の人だと教えられています。我々は、本来、純粋無垢な
心で生まれてきたと思います。赤ちゃんがいますと、そこの場が明るくなり、まわりの大人の人たちは、皆、笑顔になり
ます。赤ちゃんには大人の笑顔を引き出す何かがあるのですね。

「喜(き)神(しん)」ということばがありますが、この神は心のことです。「喜(き)神(しん)」すなわち「喜びの心」は本来、
人間に皆そなわっているということのようです。
お釈迦さまは瞑想の深まりを4つの段階に分けられています。
それは 「尋」(じん)、「伺」(し)、「喜」(き)「樂」(らく)です。

「尋」というのは、瞑想していても心がいろいろ揺れ動くような状態です。
「伺」というのは、がさついた言葉はなくなっているけど、心のありようはまだまだ存在しています。
そういうところをすっーと越えると「喜神」ですね。なんともいえないよろこびということがあらわれてくるそうです。

そして、さらにその瞑想が深まってくると「樂」―平安ですね。
最終的には「捨念清浄」(しゃねんしょうじょう)ということで、一切のおもいがなくなって心は清浄な世界になるという
ことです。
赤ちゃんを見て、みんな喜ぶでしょう。赤ちゃんはもう、そのままが「尋」「伺」「喜」「樂」の喜というか喜び、平安の
樂という状態に心があるのではないでしょうか。それだけの魅力をもっているのです。

我々は生まれてきて、いろいろな経験をさせて頂いてきて、潜在意識にみんな残っています。ありがたい、うれしい
経験ばかりだったらいいですが、切なく辛く悲しい経験をいっぱいさせて頂いてきましたので、赤ちゃんのような本来の
心が表にあらわれないで、悩み、苦しみが多く出て、ついつい愚痴を言ったり、不平を言ったり、批判をしたりという心が出てきます。

本来はこういう心、悦びを伝えるということは、我々の本来もっている清浄な心、そういったものをもう一度、表に
あらわすような工夫というか修行が必要だなと思わせて頂きます。

仏教だけでなく、宗教は人に伝えることが大事とされ、とりわけ教えにふれて味わった悦びを人に伝えることは
「伝えずにはいられない」という素直で一途な心がはたらきます。

いつも申し上げておりますように、私は今単身赴任でございますので、家内とスカイプ(インターネット)を通してテレビ
電話で話をしております。広島と東京で離れていますが、家内はほとんど寂しさを感じていないようです。毎日毎日、
家内はいろんなことを話してくれます。私はほとんど聞き手です。家内もカウンセリングとか家庭教育とか地域の方の
老人ホームのお手伝いなどをしておりますので、その時々の感動を語ってくれるんですね。
家内の話を聞いていると、感動が伝わってきて、私もうれしくなります。
感動を伝えるということは本当に大切なことだと思わせていただきます。

開祖さまは、法華経を100%信じておられ、法華経によってみんなを救いたいと思っておられたので、法華経になると
夢中になって話をされました。開祖さまは法を伝えるのが大好きだったのですね。
開祖さまは法華経に出会えた感動が一生棒の如く貫かれていたので、いつでもどこでもその感動を伝えたい
ーそういう方だったんですね。
我々も口から出てくるときは法華経に出会えた悦びばかりーそのようになりたいものです。
開祖さまを目指して、また精進させていただきたいと思います。

【感動を伝える】

「言辞柔軟にして衆の心を悦可せしむ」-話す人も聞く人も、ともに深い悦びが得られるようなふれあいを
心がけ、地域の人びとに悦びを運ぶ者でありたいと思います。

感動を伝えるのは決して言葉で伝えることだけでなく感激、感動した悦びがあれば道を歩いているだけで悦びを
伝えることが出来ると思います。

無財の七施の中で和顔悦色施―笑顔の功徳ということが説かれております。
昨日、私は宮島に行ったんですが帰りの船に乗ろうとした時、一人のさわやかな女性がすっーと歩いて来られました。
その人は笑顔だったんですね。「どういう悦びがあるのかな」と一瞬思いましたね。こちらもなんとなく、ああ、いい笑顔
だなという印象をもちました。全く見も知らぬ人でもありますし、本当にすれ違っただけですけれども、笑顔の人を見さ
せて頂くと、こちらの心も何か温かいものを感じました。
我々も「しかめっ面」して歩くのではなく、笑顔をいつも持っているといいですね。

「鏡笑法」を覚えていますか?
教育者の森信三先生は哲学者でもありますが非常に実践的な方でもあられて「立腰」とか「三つの実践」といった、
誰でもが実践できる教えを残されました。
そのひとつが
鏡に向かって笑顔を作ろうという「鏡笑法」です。

森先生のお言葉に「笑顔に開く天の花」という言葉があります。
難しいご著書をたくさん書かれている森信三先生ですが、本当に身近なところで足元におろして、いろんな
メッセージを伝えて下さっています。
そのひとつが「笑顔が大事だ」ということです。
笑顔ひとつも努力しないとできませんよということです。

それで鏡を見て笑顔をつくるのを「鏡笑法」というのです。
これはもう皆さん毎日練習されていますか?
もう何十回となく、繰り返し伝えてましたので、もうできていると思います。幸せになるもとの一つが、笑顔ということです。

この「法悦」を「感動」と言い換えてみてはどうでしょう。
日常生活のなかで感動を味わう経験なら誰にもありそうです。
しかも、けっして大げさなものでなくていいのです。

会長先生が書かれているように感動は人に伝わります。お互いさま感動のある人生を歩ませて頂きたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。

朔日参り(会長法話) | 16:30:00 | コメント(0)
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