■カテゴリ
■ご 挨 拶

訪問いただきましてまことにありがとうございます。
当ブログは、立正佼成会広島教会での活動の紹介と、その活動を通しての会員の喜びや気付きなどを紹介しています。
記事を読んでいくうちに興味がわきましたら、 是非コメントを頂きたいと思います。
運用担当者
広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

■最新記事
■リンク
■RSSリンクの表示
■最新コメント
■QRコード

QR

■月別アーカイブ
『佼成』会長法話(平成26年5月号)
会長法話「他を照らす」を拝読して

鈴木教会長ご講話の要旨

 今月のご法話は「他を照らす」ということです。「一隅を照らす これは国の宝なり」と伝教大師がおっしゃっています。その人がいると、何かホッとするとか、あの人のそばにいきたいなと思う、そういう方は、目には見えないけれど「他を照らす」ような光を発しているのではないかと思います。ここに来ておられる方々も皆、他を照らしている存在だなと思います。

【自らを灯火として】

 この5月15日は、50年前に大聖堂が落成式を迎えた日です。会長先生は今年を51年目の門出の年として修行精進しようと、ご指導下さっています。大聖堂の屋上の常夜灯は50年間灯り続けています。比叡山の根本中堂には1200年間絶えることなく火がともり続けています。
 私はここを拝読し、法の灯火(ともしび)を我々は消してはいけないという決定(けつじょう)を新たにさせて頂くことが大事だと思いました。

 そのためには、教会のスローガンにもあるように、法の後継者を育てる、婦人、青年、若手壮年、そういう方々に法を伝えていくということです。これは、言葉や研修で教えを伝えるだけでなく、我々一人ひとりの後ろ姿で若い人を教化していくということです。
 お花、盛り物、鐘や太鼓など儀式儀礼は身につけるのには時間がかかります。華道、茶道などのように、最初は所作や型を習い、その型を習熟していく中で心もできていくものと思います。法の灯火を消さないという決定、覚悟をさせて頂ければと思います。

 中外日報の記事に、ダライ・ラマ法王の話の中で、「すべての命あるものの心には、一切の汚れにまみれていない光明の心、仏になる種がある」とありました。光明心、光り輝くような心を皆持っている、そういうことに気づくことが大乗仏教にとっては大事なことです。光明なる心、仏性は、すべての人が持っているということです。光明心を持っているということを理解し、信じることができるかどうかですね。

 開祖さまは世界中の人を教化して来られました。ある時、開祖さまに当時の副理事長さんが「法華経によって全ての人が救われると、どうしてそのように言い切れるのですか」と質問したら、開祖さまは、方便品第二の「若し法を聞くことあらん者は 一人として成佛せずということなけん」。(三部経77頁2行目)ここだと、ポンとおっしゃったそうです。

 ※『佼成5月号』9頁の開祖法語録を拝読

 今月、開祖さまは、譬諭品の「今此の三界は。皆是れ我が有なり。其の中の衆生は。悉く是れ吾が子なり。而も今此の處は。諸々の患難(げんなん)多し。唯我一人のみ。能く救護を為す。」のところを解説してくださっています。
 開祖さまは、お経文を信じ切られていました。開祖さまの自伝を拝読させて頂くと、我々にはとても耐えられない様々な試練があっても、この法語録の最後にあるように、開祖さまは、どんな苦しみがおそってきても、“仏さまを信じて仏法に教えられたとおりを行い、「あとは仏さまにおまかせする」という気持ちになると、解決の道が楽々と開けてくるのです。”という心境であられたと思うのです。
 我々は、悩み苦しみが目の前に起きると後ろへ向きがちです。〈誰が何と言おうと教えを信じて行じていくぞ〉という心境になれず、〈どうして一生懸命ご法しているのに病気になるのだろうか〉など、ともすると思いがちです。しかし、一見不都合に思われるような現象こそが、本当の救われを得るために仏さまから頂いたお手配にほかならないということですね。
今月は、仏さまの教えを理解するとともに、その文言をきちんと信じていけるような修行をさせて頂きたいと思います。

【生活の中心は布施】

 私は、仕事やお役など、いま自分の目の前にあることに生きがいをもって一所懸命とりくみ、人さまに喜ばれることであれば、それが他を照らすいちばんのあり方だと思います。

 どういう環境になって、どんな仕事やお役に携わっていても、そのことに生きがいをもって、一所懸命に尽していく、そういう生き方が「他を照らす」生き方だと教えてくださっています。
我々は、ある会社に偶然就職したとか、こんな会社行きたくなかったのにと働いている人もいます。世の中で成功している人は、挫折感を味わいながらも、そこで全力を尽くす、すると、そのことが好きになるんですね。逆にいうと、全力を尽くさない、一所懸命努力しない人は、どこに行ってもおもしろくない。不平不満ばかりとなります。
 佼成会でいえば組長、主任、支部長と色々お役があって、〈なぜ、私がしないといけないの〉と思う時もある。でも、その場所が私たちの魂を磨き、同時に周りの人を救っていく有り難い修行の場なのですね。ご苦労は多いけれど、やるからには一所懸命にさせて頂く、結果として、それが「他を照らす」いちばんのあり方になるということです。

 私たちの生活の中心は布施の実践にあるといえます。

 分別功徳品に、末法の世に我々は何をしたらいいかというと、「五種法師」と「六波羅蜜」と書いてあります。それは法華経を修行する者としてかかせない修行です。
 会長先生は、特に六波羅蜜の中の布施行を、今月は取り上げて頂いております。今月は布施行にしぼりこんで修行しましょう。基本の布施行は法施、財施、無畏施です。身施、心施は、無財の七施の一つです。
 “一日一回、布施行せざれば一日食わず”ぐらいの気持ちで修行したいですね。いつも笑顔でいる、「ありがとう」と言える、感謝や喜びの言葉を言う、それも布施行です。しっかりと布施行の実践させて頂きたいと思います。

 人の良いところをどんどん見つけていく人と、人の悪いところばかり見つけていく人、皆さんはどちらのタイプですか?良寛さんのように、人の良いところを讃嘆する行も難しいですね。
閻魔帳は、閻魔さんが、その人の悪行を記録していて、地獄に行く前にチェックします。それに対して、恵比寿帳は、人の長所や良いところを見つけて記録するノートです。皆さんもご主人の良いところを見つけ、ご主人の良いところを100書いてみてはどうですか。そんなことをすると楽しいですね。ご主人だけでなく、ふれ合う人の美点を見つけて、記録するのです。

 たとえ小さな灯火(ともしび)であっても、いつでも明るく、あたたかな灯(ひ)で周囲を照らす者でありたいと思います。

 法灯明、教えをしっかりと学び、学んだことを心の中で反すうして、自分の生活のなかで実行していく。実践してみると、〈なるほど〉と、うなずけることがたくさんあると思います。そうすると、理解から、〈ああ確かにそうだ〉という信の世界になります。昔から「解・信・行」と言われるように、学ぶこと、実践すること、その結果として信が深まる。それが我々の修行の基本だと思います。
 今月は、特に布施行を念頭において、精進させて頂きたいと思います。


朔日参り(会長法話) | 13:13:48 | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad