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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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『佼成』会長法話(平成26年3月号)
会長法話「優しさ」を拝読して

鈴木教会長ご講話の要旨


【人を思い、憂う】
会長先生が創立記念日3月5日の花暦を調べられたら、アイリスの花、花言葉は「優しい心」ということから、今月は「優しさ」についてご指導下さっています。

会長先生は平成24年、年頭ご法話で「明るく やさしく 温かく」ということを解説されています。もう一度読ませて頂きます。

釈尊の精神、開祖さま、脇祖さまの精神である慈しみ思いやる心(明るく、優しく、温かく)、明るさは智慧、温かさは慈悲の象徴といえます。優しさは真に人を思いやる心情のことです。そして人さまに智慧をお伝えすることが真の慈悲であると教えられています。日々の信仰生活にあてはめるならば、智慧を身につけるご法の習学、智慧をお伝えする導き、手取り、法座、説法などを大事にし、一人一人が仏に帰依する人間となって、朝夕のご供養をさせて頂く基本信行が大切でありましょう。
優しさという点で特に心がけたいのは、上司や先輩など、いわば上に立つ人が部下や後輩に思いやりの精神を発揮していくことです。上長の者が手本を示してこそ、優しさの和が広がるのだと思います。


そういう意味では、教会長が一番優しい人にならないといけないし、支部長は二番目に優しい人にならないといけないですね。

「優しく」の「優」の字は……人偏に「憂(うれ)」えると書く
「憂える」とは……「心を痛めること」それは人のかなしみがよくわかること
「優」の字は「優(すぐ)れる」とも読む……人のつらさやかなしみを敏感に察知して自分のことのように思いやる、そうした心のはたらきに優れている人が「優しい人」


開祖さまも会長先生も、人の痛み、つらさ、苦しみ等を本当に理解して、その人その人にふさわしいご縁になられていると思わせて頂きます。
ふだん会っていても、その人がどんな人生を歩んできて、今どんな心境にあるのか、どんなつらい思いをしてきたのか、なかなかわかりません。女性ならご主人が会社の中でどれほどつらい思いをしているのか、そういうことをおもんばかれるような人が「優しい」人ですと教えて下さっております。
会長先生は、お釈迦さまこそが本当のかなしみやつらさを理解して、心から思いやれる、究極の優しさを教えてくれている方だと、おっしゃっています。 

あらゆる人を友とし、喜びを与えよう。    「慈」
苦しむ人を思いやり、手をさしのべよう。   「悲」
ひとの幸せを念じ、ともに喜ぼう。      「喜」
とらわれを捨て、すべてを平等にいたわろう。 「捨」
 「慈悲喜捨」というこの四つの無量に広がる利他心を実践していれば、
 おのずと人に優しくなれるということでしょう。


優しくなるということは、人の気持ちがおもんばかれるように、相手の立場になるということです。

【優しくなれた幸せ】
会長先生の優しさのエピソードの一つを紹介します。ある日、秘書の女性が「昼食のお時間です」とお知らせし、会長先生が和室へ行かれた時のことです。しばらくして女性は座布団を出すのを忘れていたことに気づき、あわてて「申し訳ありません」とお持ちした時、会長先生は「今日のような小春日和は暖かくて、お座布団がない方がちょうど気持ちいいですよ」とおっしゃったそうです。後でその女性に聞いたら「怒られたら、いろんな気持ちになったかもしれないけど、そのように言って頂いて、ああ、二度としないようにしよう」と思ったようです。
開祖さまも会長先生も、細かい心配り、相手の気持ちを受けとめて、すっと優しさを実践されておられます。我々は本当に有り難いお師匠さんに出会わせて頂いております。

優しい心根を引きだし育てるうえで大事なこととして
開祖さまは「家庭に宗教的な雰囲気があること」といわれています。


※開祖さまご著書『無限への旅』(14頁)
「私の性格をほめてくれる人は、素直だとか、明るいと言ってくれる。一方、お人好しで、ノンキでこまるという人もある。どっちも当たっている。それにもうひとつ自分で加えるならば、人と争うのがきらいだというのが、顕著な私の性向だ。〈和〉とか〈調和〉ということは、あとになって仏教の理念としてはっきり感得するずっと以前から、ひとつの情緒として私の心に住みついていたもののようだ。
これらは、疑いもなく、育った家庭の雰囲気がつくりあげてくれたものだ。ノンキも、お人好しも、まあ仕方があるまい。だが、〈和〉とか〈調和〉の情緒を育てあげてもらったことだけは、何よりも有難いことだった。これだけあれば、あとは何もいらないとさえ思ったりする。」


私たちは、子供が良いとか悪いとか言いますが、子供の姿は完全に親の姿です。特に夫婦が相和しているかどうか、互いの心の痛みを分かるようなそれぞれであるかどうかが、家庭の和の根本ではないでしょうか。
「家庭に宗教的な雰囲気があること」ということで、我々は佼成会のご縁の中で、ご本仏さま中心の生活をし、子供たちの模範となるような一日のありようを、改めてもう一度しっかりとさせて頂きたいと思います。

そして何より、私たちは法に照らされ、サンガに磨かれるなかで
人に優しくなれるということはないでしょうか。


優しくなるには真理とか法、教えがわからないと優しくなれません。サンガというのは、開祖さまは、芋洗いと同じと教えて下さっています。一人一人は自分の思い通りにしたいのだからぶつかり合う、その時に水が無いと皮がむけない、その水が法だと例えられています。教えを通して「ああ、私の姿だなあ」という受けとめ方ができて、だんだん自分の我が取れ、気づいたら、何があっても「ああ、有り難い」というような心境になれる。そういう意味で、法に照らされサンガに磨かれるなかで、我々は人に優しくなれる、別の言葉でいえば、人格が完成できるということだと思います。
お導き、手取り、法座という実践行を、法をよりどころにして行うことによって、我々も心を磨きあうことができるということです。

『佼成』編集メモ(55頁)
◆「会長法話」の結び。「感謝の心をこめて、みなさまとともに精進し」。この言葉に、自己を律する厳しさと謙虚さを胸に歩まれる師の思いを感じ、喜寿も学びの一里塚と教えられた。

この編集者が書いているように、会長先生も自己を律する厳しさと謙虚さを胸に歩かれていると思います。私たちも会長先生に倣って、「自分に厳しく、人に優しい」私たちでありたいと思います。

今月は会長先生が「優しさ」というテーマでご指導下さっていますので、この意味を深く受けとめさせて頂いて、人の心の痛みや、悩みや、苦しみがわかること、そのわかった心というものも相手の人に伝わるような、そういうふれあい、出会いをさせて頂きたいと思います。
開祖さまの願い「法華経によって、現実的に人を救い、世を立て直す」、また会員綱領の精神が我々の修行の大きな目標だと思います。今月もどうぞよろしくお願い申し上げます。


朔日参り(会長法話) | 12:48:55 | コメント(0)
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