■カテゴリ
■ご 挨 拶

訪問いただきましてまことにありがとうございます。
当ブログは、立正佼成会広島教会での活動の紹介と、その活動を通しての会員の喜びや気付きなどを紹介しています。
記事を読んでいくうちに興味がわきましたら、 是非コメントを頂きたいと思います。
運用担当者
広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

■最新記事
■リンク
■RSSリンクの表示
■最新コメント
■QRコード

QR

■月別アーカイブ
『佼成』会長法話(平成25年8月号)
会長法話 『水に学ぶ』を拝読して

鈴木教会長ご講話の要旨

 今月のご法話は「水に学ぶ」ということで、会長先生は「“水のあり様(よう)” が “我々人間の生き方がどうあるべきか” を教えてくれている」ことをお示し下さっています。

【さらさら流る】

 会長先生は、“水のあり様” について西行法師や高山光太郎の歌で教えてくれています。山に入るだけでも涼しいし、冷たい水はおいしいですね。砂漠の国などに比べると日本は豊かな水があってありがたいですね。我々は、豊かな水に恵まれていることにもっと感謝しないといけないと思います。

 もうひとつ、“水のあり様” を示した例として、ここに江本勝さんのご著書『水からの伝言』からいろいろな水の結晶の写真を掲示していますが、著者は「水は人間の心、思いを全部写しとる」と言っています。「ありがとう」という文字を見せるときれいな結晶に、「殺す」という字を見せると結晶にならない状態になると言っています。我々の体は70%が水ですので、毎日よい言葉をまわりの人に投げかけていると、投げかけた人自身もその言葉を聞いていますのでお互いに幸せになります。そのときの我々の中にある水は、たぶん、こんなきれいな結晶になるのですね。
私も20年位前から家内に愛の言葉、感謝の言葉、ほめる言葉を毎日話しかけるようになりました。すると、しばらくして、家内が「お父さんから、そう言われると、体の細胞の一つひとつがキラキラ輝いている気がします」と言ってくれました。家内はそれまで体調があまりよくなかったのですが、それ以来気づくと調子が悪いと言わなくなり健康になりました。
このように、水はかける言葉によってひとつひとつ結晶が違っており、いろいろな言葉にふさわしい結晶ができるそうです。水は身近にありますが、不思議でわかっているようでわかっていないものですね。皆さんも自分やまわりの人の体の中にある水に感謝するとともに、よき言葉を積極的に発して頂きたいと思います。

 ここから本論ですが、会長先生は、「法」と「仏」の語源を示されて、「水が私たちに教えてくれていることは“日常生活の中で素直になる”ということではないか、それが仏さまの教え、つまり法に随う生き方である」と教えてくださっています。皆さんどうですか。「ハイ」と受けられないのは、“思い込み” や “我” があるからです。「ハイ」と言えるようになるといいですね。

【すべて仏の説法】

 会長先生は、次のようなことわざや成句の事例でも「水が私たちに教えてくれていること」をお示しくださっています。

『水は方円の器に随う』
このことわざは、縁によって色々影響を受けてしまうという意味もあるようです。どのような縁にも自然に合わせていけるような我々であったらいいなということです。

『点滴石を穿つ』
この成句が教えていることは二つあります。一つは、〈持続する努力〉だと思います。開祖さまの教えのとおり“良いことを真心込めて繰り返す” ということです。もう一つは〈一点集中〉だと思います。開祖さまは、60年間、“人を救い、世を立て直す” ために法華経広宣流布という一点に集中されたので、あのような素晴らしいご活躍をされました。我々も、今頂いているお役が天命、使命と心得て、法華経一筋に歩んでまいりたいと思いますが如何でしょうか。人さまをお救いするために残りの人生を法華経の広宣流布一筋に行って、水が石に穴をあけるような生き様をして参りたいものです。

『流水不争先 (流水先を争わず)』
ご法話の中にはありませんが「流水不争先」という言葉もあります。流れる水は、先を争うことなく自然と淡々と流れています。この言葉が教えてくれていることを喩えでいうと、トップランナーは前の景色しか見えませんが、後のランナーは前の人の走る様が全部見えます。人生も決して後ろから歩いていくことが悪いことではありません。トップを走ることも意義があり素晴らしいけれど、真ん中にいても後ろにいても、人生の味わいは必ずしもトップだけが良きことを味わえるのではないなと、そういうゆったりした気持ちも大事かなと思います。

『水は自性なし 風に遇うてすなわち波たつ』(弘法大師空海)
水には “我” がないということだと思います。何にもとらわれないような心境、特に、自分の肉体、家族、立場などにとらわれないこと、それも水から学ぶ世界です。

『峰の色 谷の響きも 皆ながら 吾が釈迦牟尼の 声と姿と』(道元禅師)
この道元禅師の歌は、法華経如来寿量品の世界そのものです。全部仏さまの慈悲の現われであるということです。今、目の前にあるこの椅子も、この建物も、お隣にいる方も、皆、釈迦牟尼の声と姿だということです。このような心境になると、それが “悟り” といってもいいのではないでしょうか。この歌は、私たちを取り巻くすべては仏の慈悲の現われそのもの(仏さまのプレゼント)であると受け止めることですよ、と教えてくれています。この歌のような心境を目指して、一歩一歩修行させて頂きたいと思います。

 今月は「水から学ぶ」ということですから、水に関心を持って、水が教えるような生き方の一つでも二つでも実践させて頂きましょう。(合掌)




朔日参り(会長法話) | 20:00:07 | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad