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当ブログは、立正佼成会広島教会での活動の紹介と、その活動を通しての会員の喜びや気付きなどを紹介しています。
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広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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ドリームカプセルお届けセレモニー
“10年の時を経て2017年4月2日開封!!!”

  開祖さまご生誕100年記念「ドリームカプセル」は、少年部員さんが「将来の夢」「10年後の私」「仏さまとの約束」を書いて、大聖堂のご本尊像の下に奉納したものです。10年経って届けられたカプセルの「オープンセレモニー」が4月2日(日)の午後、広島教会で行われました。平成18年の第1回目のドリームカプセルには広島教会から110名が参加しました。全員にオープンセレモニーの招待状が送られ、2日当日には本人、家族含め、23名の方が参加されました。



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  市場少年部長さん挨拶



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   ご供養

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    ドリームカプセルオープン

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 米廣花歩×MOLAN(渡邊理紹・井上美穂・冨田祐加)の方々の演奏

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    齋藤教会長挨拶

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青年部全体 | 15:41:15 | コメント(0)
『佼成』会長法話 平成29年4月号
会長法話「時間の浪費」を拝読して

齋藤教会長講話の要旨

 今月は会長先生より、「時間の浪費」というご法話を賜りました。皆さんとともにかみしめさせて頂きたいと思います。

【 大調和の中で 】
 私たちは、たとえば一日じゅう寝転んで無為に時をすごすことを、時間のむだ遣いといったりします。わずかな時間も惜しんで何かに打ち込む。それが有意義な時間の使い方であり、時間の浪費は人生のむだに他ならない、と。
みんな平等に、一日24時間与えられている中で、むだな時間を過ごしてしまうと、私たちは時間の浪費、殺生をしたと思ってしまいます。

「毎日を最後の一日だと思って生きなさい」とは、古代ローマの思想家・セネカの言葉にあるように一瞬一瞬、むだにしないような心がけで日々を送ることが大事だと昔からいわれています。
 ただ、時間の浪費ということを天地自然に照らして考えると、時間そのものに縛られない、もっとゆったりとした大らかな視点がありそうです。
 仏道とは何かを著したある本に、「日常の起き臥しは、すべて神通妙用と会得する」とあります。


 毎日の生活は不思議な作用の連続でなりたっていて、そんな不思議で自在な活動によって保たれている大きな調和の世界に、われわれは生かされているのだというふうに見ていくと少し違ってくるようです。
 
 宇宙が誕生した不思議。その宇宙で、生命体が存在するための要素を具えた惑星・地球に、人間として命をいただく不思議。そしていま、天地自然の大調和の中で行かされていることの不思議…。・・・
 何もせずに寝転んでいる姿は怠けているようにしか見えないかもしれません。


 寝転んでいる姿を怠けていると見るか。仏法的に見ると、本来すべての現象は、無駄なものはないとなります。まさに見方でありますから、次に備えて、休養しているとプラスに見ると、有意義な過ごし方に見えるわけです。

 欽司郎先生が「父の背中」のご著書(P44~)の中で、書いておられますが、大事な人と会う約束をされていた開祖さまが、お昼休みに居眠りをされていた。寝てていいんですか?の質問に開祖さまは次のように答えられた。大事なお客さんに会うために一番いい顔でいたい。そのために万全の態勢を整えて休息をとっているのだ、と。返す言葉もなく、「さすが、親父!」と心の中で叫んだという内容です。そんなお父さんの言葉から父の偉大さを学んだという話がありました。

 仏法の本質からすれば、人も物もすべての現象も、どれ一つとして、むだなものはないと見えてきます。
 会長先生の年頭ご法話で、私たちは宇宙の一切合切のお陰さまで生かされているとご指導頂きました。自分で整えたものなど何ひとつない、すべてがはからわれている世界だ。そのことがしっかりと認識できると、悩んだり、苦しんだり、争ったりすることはないのです。すべての現象がむだなものはなく、いま必要があるから現れてきて、縁にふれていると神仏の大いなるはたらきを感じとることができるのです。
 
【不思議を観じよう】
 調和の世界に住む私たちにとって何が「時間の浪費」といえるのでしょうか。
私たちはみな「この世に願って生まれてきた」と法華経にあります。しかも、それは、多くの人の幸せのためにと説かれています。つまり、私たちは調和の世界の一員として、みんなが幸せに生きられるよう、その調和を保つために生まれ、かつ生かされているということです。すると、人を傷つけるような言葉や態度、自分さえよければいいといった身勝手な行ないは、何よりもむだな時間の使い方といえないでしょうか。こういう時間の浪費は「命のむだ遣い」とさえいえましょう。


 自分に与えられている役割、自分にしかできない尊い役割がある。だからこそこの世に命を授かって、生かされている。その私たちが自分の大切な役割を認識しないで、自覚しないで人を悩ませたり、傷つけたりする行動をとることが、まさに自分自身の命のむだ遣いだと受けとめることが大切ですと確認をして頂きました。

「人生の無常を痛感すると、いま生きている有り難さがはっきりわかる。その自覚が精進の心を起こさせる」と学んだことがあります。自分がいま生きていることの不思議と、有り難さを自覚しないでただ漫然とすごしているために、私たちは調和を損なうような行ないをしてしまうのかもしれません。

会長先生がおっしゃっているように、自分がいま生きていることの不思議、生かされていることの不思議と有り難さ、「人の生を受くるは難く、やがて、死すべきものの、いま生命(いのち)あるは有り難し。」本当に命のあることが有難い、感謝の出発点だと教えて頂いたわけです。

道元禅師は「生死流転する自分の身心を省みて、自分よりも他の人が先に幸せになるようにと願う菩薩の心を起こしなさい」と書き残しています。無常、さらには絶妙のバランスでこの世を成り立たせている天地自然の不思議さを観じたならば、ともに調和を築くもの者として、お互いに尊重しあい、仲良く生きなさいというお諭しでしょう。

 日々、いろんな変化の中で、また、様々な出会いの中で、常に、目の前のふれあいの中で起こる縁を通して、今自分にできることをさせて頂く。すべてのものとの調和、その人との調和、その人を喜ばせたり、そのことをよりよくするために自分が努力する、常に調和が保たれるようにと努力する、そんな生き方こそが大事な生き方なんだということを確認して頂きました。
 それが、まさに「天上天下唯我独尊」、われ、ひとり尊し、尊い存在としての自分の役割を果たしていく、そんな気持ちになることが大切なんだということであります。
 草花を愛で楽しむ、春を迎える中で、あらためて命の不思議さや無常というものを観じ、しっかりと受けとめて、今目の前のことに精一杯生きる。命をかけて、一瞬一瞬を生きる。そんなことの大事を知ることがこの季節、今大切な時を迎えている私たちですよと、そんなふうに確認して頂きました。
 あらためて、お釈迦さまの誕生のおかげさまで、仏教の尊い縁に出会えている私たち、そして、開祖さまのお陰さまで、この法華経の教えをよりわかりやすく、また、日常生活の中で実践できる教えとして頂戴している私たち。そのことを繰り返し、繰り返し学び、法座という場所で毎日のように尊い教えを繰り返し確認できる機会を頂けている。そんな中で自分を常に見つめながら、また教えに照らし合わせながら、しっかりと自分の役割に気づいて自らの足で自立した信仰者として、まさに自灯明、法灯明の歩みをしていくことが大事であるということをかみしめさせて頂きました。
 何よりも大事なことは、こんな尊い人間としての命を頂いている私たちの役割は少しでも人さまが幸せになるように、この教えをお伝えしていく。創立の月に続いて、教会発足の4月だからこそ、感謝をあらわしていく月であり、その実践行として、教会一丸となって、お導き・布教伝道に取り組ませて頂きたいと思わせて頂きます。今月もどうぞ、よろしくお願い致します。 合掌

齋藤教会長のご講話を聴かせて頂いて

 時間の浪費というご法話のタイトルを見た時、自分自身の日常の時間の使い方を指摘されているように思いました。しかし、そんな表面的なことではなく、大事なことは、自分がいま生きていることの不思議と有り難さを自覚し、どう命を使っていくかということだと気づかせて頂きました。ありがとうございました。
                    文責  Y.F


朔日参り(会長法話) | 12:00:00 | コメント(0)
わたぼうしNo.18(2017年4月号より)
いま、ここ、われ

 春。さわやかな季節を迎えました。春と聞くと、何故か心ワクワクしませんか?上野公園、隅田川、福島の三春…。そういえば、広島の桜の名所は何処でしょうか?光町公園??ゆっくりお花見したいですね。
 4月は、新しいスタートの時でもあります。そういう意味でも、将来に向けての心躍る瞬間ですね。何か、新たなことにチャレンジするのもいいかもしれません。でも時間がなくて…というのが現実でしょうか?
 会長先生は、『仏教は「いま、ここ、われ」の救われの教えである』とお示しくださいます。『「いま」の時、「ここ」の場で、「われ」の自分が、教えを実践していくことが仏道の始めであり、終わりである』と。そして、『実践するということは、「まず人さま」の心にならせて頂くことであり、菩薩として仏道を歩ませて頂くことである』と。さらに、『日々、「いま、ここで、救われました」と感謝し、精進していく。それこそが、釈尊の願われたことです』と。
 何かにチャレンジするにしても、日々の生活に対しても、大事なことは、目の前のことに、精一杯、真心込めて、叮嚀に、ということに尽きるのですね。降誕会、教会発足の月。足元からしっかりと実践に移せる自分でありたいと心新たにしています。
                                             合掌
                                           教会長   齋藤高市
 
                                                                                                      

教会長メッセージ | 10:52:33 | コメント(0)

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