2016-09-28 Wed
平成28年7月30日(土)~31日(日)、広島教会で、「少年部お泊まり会」が行われました。 今回のテーマは『みんなにやさしく』でしたので、お泊まり会のお誘いの時からスタッフ自身もみんなにやさしくをテーマにお声かけをさせていただきました。
参加者は、小学生50名、スタッフ18名。学びあり、楽しみありの二日間で、子供たちの笑顔をたくさん見ることができました。
始まる前に、聖壇の方に儀式作法を教えて頂き、ご供養のお役の子どもたちが練習しました。
開会式
レクレーション
水遊び
ゆめポッケ発送式
今からご供養です。
自分たちで切った野菜
カレーを頂きます。
夜は、ナイトハイクで教会内でミッションをクリアしながら
楽しみました。
2日目
平和学習
ランドヨット作製
そうめん流し
新聞紙でつくった棒でみんなの力で割れました!!
2016-09-20 Tue
昨日は、「敬老の日」、「彼岸の入り」でした。一週間ほど前、地区のMさんのお家で佼成9月号の会長先生ご法話『老いの輝き』の輪読会がありました。Mさんの家に歩いていく途中、田んぼの稲穂の上を赤とんぼが飛んでいました。
実りの秋だなと思いながら、続けて歩いていくと、畑のなすびの花が紫色に咲いているのが目に入ってきました。ふと、
『親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない』という諺が心に浮かんできました。親、先祖、人生の先輩を敬い、学ばせ
いただくことの大切さを、しみじみと思った一日でした。
それでは、笑顔になれる子育てのヒントの第4回目を紹介させて頂きます。
わたぼうし2016年8月号より
2016-09-10 Sat
広島教会女子部長の武政有希子と申します。だいぶ前からブログに載せる話を頂いていたのですが、遅くなり、申し訳ありません。
この度、7月15日の本部にて、広島教会を代表して、奉献の儀のお役を頂き、
行って参りました。ありがとうございました。
私は、父、母、妹、祖母で生活しています。私は祖母から始まるご法の3代目となります。祖母はずっと病院に入院しており、こちら側の声かけに答えたり、反応したりが難しくなっており、看護が必要な状態で、いつ亡くなってもおかしくなかった時期でした。そのため、母にお世話役に入って頂き、、一緒に
東京に言って頂きたいという思いがありながらも、なかなか自分からは言い出せず、教会長さんをはじめ、教務部長さんや、支部長さんから、お願いして頂くことになり、父と母と話し合い、親子で本部に行くことができました。
本部での奉献のお役を頂いたことを病院にいる祖母に報告に行くと、「行ってらっしゃい」と言ってくれているかのように頷(うなず)き、「ハイ」と言ってくれ、とてもビックリしました。
祖母のことを思い、私がこうして命を頂けているのも、祖父と祖母がいて、ご先祖がいて、ここにいるのだと、感謝の心で、奉献のお役をさせて頂きました。
先月、8月20日に祖母が亡くなり、佼成会葬でお通夜とお葬式をして頂きました。今、振り返ると、私が女子部長のお役をさせて頂けていることも、奉献のお役をさせて頂けたことも、亡き祖母の願いだったように思えます。その思いを受け継ぎ、今「ココ」にいることに感謝できる自分になれたのはホントに祖母のおかげさまだなと思わせて頂きます。長くなりましたがありがとうございました。
広島教会青年女子部長 武政有希子
2016-09-03 Sat
会長法話『老いの輝き』を拝読して齋藤教会長ご講話の要旨
【 本来の面目 】
面目は、ありのままとかあり方ということですが、高齢者の本来のあり方と受けとめさせて頂きました。
75才以上の後期高齢者に「光輝高齢者」、光り輝くと書くと、気持ちが明るくなりますね。前期高齢者も「全輝高齢者」と、全て輝くと文字をあてると気持ちが変わり、背筋がピンとしますね。
道元禅師の歌「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 涼しかりけり」
自然の営み、自然の働きのなかで我々は生かされています。全てのことが変化しています。季節、季節、一つひとつの事柄をありのままに受け入れていく。変化しているからこそ、変化に合わせていく、それは無常を認識するということだろうと思います。その中に、幼年期には幼年期の成長があり、青年期は青年期の成長があり、中年期、老年期、その時々に光り輝いている私たちなのだということを、しっかりと学んでいくことが大事だと教えて頂きました。
また、水は変化していくことの象徴でもあります。私たちは広宣流布、流れるがごとく布教していく。教えを伝える、布教伝道していく、流れをとどめてはいけない、このことから学ぶことが大事だと、教区長さんに教えて頂きました。
教えを伝え続けていく、流し続けていく、その大切さを、私たちは、この一つの歌、光輝高齢者という学びの中からも、かみしめていくことが大事なのかなと思いました。
今、この瞬間を大事にしていく、ありのままに、素直に受け止めて、その一つひとつの出会い、ふれあいの中にある尊さや有り難さ、その光り輝く瞬間に気付けるということが、本来の面目であるということです。
「光輝高齢者」、「老い」ということに限らず、全ての年代に言えることだと思います。一瞬一瞬に輝きを見いだせるような生き方をしていくことが尊いということではないかと思います。
【 菩薩の輝き 】
たとえ寝たきりの人であっても、光り輝く菩薩として、まわりにいる人たちの心田を耕す犂(すき)となり、鍬(くわ)となっていることを忘れてはならないのです。
開祖さまは、「寝たきりの老人でも、お医者さんや看護師さんに合掌してありがとうというと、それで菩薩行ができるんですよ」とおっしゃっています。だから、いつでも、どこでも、だれにでも、いつまでも、菩薩行は心さえあればさせて頂けるのだということだと思います。
すべての人が光り輝く菩薩としての役割を持っていることを、常に忘れてはいけないのです。年を取ったから、病気をしたから、寝たきりになったから、足が不自由だから、できないということはないのです。
いつでも、どこでも、どんな状況にあっても、一瞬の出会いの中に、その事がらの中に目を向けていく、光輝く瞬間を見出す、そんな私たちであれば、菩薩行ができるのだということであります。
開祖さまは、「自分が生きていることがそのまま布施になるような人生を送りたい」といわれましたが、私たちには、生きる姿をとおしてさせていただける布施もあるのです。
佼成会の教えにふれたお陰さまで、知らずしらずに、互いに助け合う、声を掛けあう、そういうことが自然と身についています。また、そのことが、自分のためにする喜び以上に、人のために何かさせて頂くことが自分の生きがいや喜びとなる体験を、いつのまにか感じられる私たちにならせて頂いています。それが尊いことなのです。
道場で見られる思いやりにあふれた情景、年よりの方が足を悪くされ、年をとったと思いながらも、「ありがたい。ありがたい」と言いながら、一生懸命お役をしてくださっている姿があります。
道場で見られるそのような光り輝く高齢者は、きっと若い世代の方々の目標となり、地域においても大切な役割を果たすのではないでしょうか。
お年寄りの役割を認めていく、お年寄りを大切にさせて頂こう。宝物としての先輩たちの生き様を大切にしていこう。そんなことをしっかりと確認していくことが大事だと思わせて頂きました。
熊本地震のとき、熊本教会が数か月間、避難所になりました。近隣の人も来られ、車いすの人、寝たきりの人もおられたそうです。昼間はすることもなく外を眺めて過ごしている姿を見た教会長さんは、「この人たちを粗末にしてはいけない。この人たちに喜んでもらえるような、安心を与えられるような教会になろう」と思えたことで、自分たちが大変な中でも近隣の方々のために、一生懸命、何かさせて頂こうと思えた、と話してくださいました。寝たきりや高齢の介護を必要とする人のお陰さまで、私たちの心に、菩薩行の慈悲心の灯をともして頂いたという今月のご法話のごとくの体験であったと教えて頂きました。
また、別の支教区長さんは、「一人ひとりが光り輝くことも尊いけれど、光り輝いている人を“光り輝く”と見られる私たちであることも大事なのです」とおっしゃっていました。私たちは、なかなか受けとめられず、“光り輝く”ことが見られないことが多いけれど、“光り輝く”一つひとつの尊さを見ていけるかが大事なのだと教えて頂きました。
その意味では、開祖さまの姿勢のごとく、文句も言わず、愚痴も言わず、常にありがたいという思いでいられるかどうか、そのこともヒントになるのではないかと思わせて頂きました。
思いやりの実践、私たちは「明るく やさしく 温かく」という目標を掲げ、そんな自分づくりをしていこう。助け合い、支え合う。そしてわが身を人のために使うことが喜びとなるような、そのことで人に喜ばれるような、当たり前のことが当たり前にできるような私たちであることが大事なのです。
自分たちが尊い教えに出合って、助け合い、声を掛けあうのが当たり前にできるような実践をし続けていくことが大事です。
そういうことを黙々と後ろ姿で示してくださっている光り輝く高齢者の方々を大事にしていく。その方たちから学んでいく。その宝物を大切にしていくことが大事だと思わせて頂きます。
先祖供養、親孝行が立正佼成会の大事な務めです。その事を通して、今、生かされている我がいのちの尊さに気付いていくということが大事なのです。尊い我がいのちを、より一層人さまのために、世のために、開祖さまのお心のごとく実践できるような一人ひとりになっていく、そのことが今月示して頂いた「老いの輝き」というご法話の中から学んでいく大事ではないかと思わせて頂きます。
9月、脇祖さまの報恩会の月を迎え、慈悲の生涯、思いやりの実践をし続けてこられた妙佼先生のお心をしっかり学び、少しでもまねる実践を繰り返し、彼岸の月、先祖供養をさせて頂き、それを通して一人ひとりの尊いいのちに気付いていく、一人ひとりの慈悲心に灯(ひ)をともしていく、そんな一か月間の修行精進を、皆さまと共にさせて頂きたいと思います。
今月も 「 明るく、やさしく、温かく」元気よく、修行精進させて頂きたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。