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当ブログは、立正佼成会広島教会での活動の紹介と、その活動を通しての会員の喜びや気付きなどを紹介しています。
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運用担当者
広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日
平成28年8月15日、71回目の終戦記念の日に広島教会、三次道場、五日市道場において「戦争犠牲者慰霊・平和祈願の日」式典が行われました。参加した会員たちは、すべての戦争犠牲者に慰霊の誠を捧げ、恒久平和の実現を祈りました。
広島教会での式典の様子を紹介させて頂きます。
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                       教会長献花


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                                  青・壮年による献花

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                      読経供養

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                      教会長あいさつ

総合 | 12:00:00 | コメント(0)
『佼成』会長法話 平成28年8月号
会長法話『まず自分から』を拝読して

齋藤教会長ご講話の要旨
 今月、会長先生より「まず自分から」というご法話を頂戴致しました。いつも教えて頂いている「まず人さま」ということの中でも、「自燈明・法燈明」の教えの中でも、まず自分から、自分自身の足でしっかりと歩んでいく、そのことをかみしめて頂いているのだと思わせて頂きます。
 先月のご法話「人を育てる」で自分を磨くことを学ばせていただきましたが、さらにその続き、繋がっている世界を学ばせていただきたいと思います。

【 楽しく、自然に 】
会長先生は、ときおり自宅の周辺で見かける、『道路に捨てられたゴミを拾うボランティアの若者たちの光景はとても清々しいが、一方で、いくら拾ってもきりがないほど落ちているタバコの吸い殻や空き缶、紙屑等を見ると、道端にごみを捨てる人の公徳心を疑いたくなります』と、おっしゃっています。本当に、社会のマナーを守ることが大事なことですが、そういう心がないのかなと疑ってしまいたくなりますね。

ただ、ゴミをポイ捨てする人をいくら責めても、いらだちや怒りで、苦い思いが広がるだけですから、人の捨てたゴミのことで、自分の心まで汚すことはないのかもしれません。

 会長先生の常に自分に振り向けられている姿勢、そのお心がすごいですね。会長先生のように大きな心でものごとを見ていくこと、「捨ててあるゴミで、自分の心まで汚すことはない」と受けとめていくことが大事だと、あらためて学ばせて頂きました。
 また、会長先生は、散歩がてら、奥様とともに道に落ちているゴミを拾い集められたご自身の体験を通して、「捨てなければ拾わなくてもすむ」という当たり前のことに気づかれ、「私はけっして捨てまい」と心に刻まれたのです。同時に、道が汚れていて気になるのであれば、人を責める前に「まず自分から」行動を起こせばいいということを学ばれたのです。

 気づいたら、まず、自分から―ゴミ拾いに限らず、それは気持ちのいい日常生活をおくる手立ての一つです。そこで大事なのは、その行ないが自然な心のはたらきであること、そして実践する自分がそれを楽しいと感じることだと思います。
 どんなことに対しても気づいたら行動を起こす、言われる前に、自分から積極的に行動を起こすことが大切です。
 開祖さまが、新幹線の中で、汚れていたトイレを次の人が気持ちよく入れるように、綺麗に掃除をされていたというお話を聞いたことがあります。一つひとつのご縁の中で、まさに自分ができることをする、まず自分から行動を起こすということを開祖さまも、会長先生も、素晴らしく徹底してされています。師の後ろ姿から学ばせて頂いたような気がいたします。

 私たちは、みな仏の御いのちをいただいている菩薩です。ですから、「している」という意識や、「させられている」という不満があると楽しみにはならないでしょう。 
そういう意味で、行動、行ないが楽しいと感じられるようになることが大事です。ですから、開祖さまは「よいことを心をこめてくり返す」実践行が大事だ、そして、会長先生はそのことをさらに受けとめて、「楽しくなるまでくり返そう」と教えてくださっています。
 菩薩のような働きをさせて頂くことを有難いと思うか、厄介だと思うかで、全然ちがいますね。

大自然が無償の恩恵を注ぐように、困っている人がいたら自然に手を差しのべ、汚れている場所があれば率先してきれいにする。そして、それが楽しいという以外、何もとらわれるものがない。仏の遊戯三昧(ゆげざんまい)にも似たそういう心であることが、「まず自分から」の実践ということになるでしょうか
 
日常生活の中で、掃除をしたり、洗濯をしたり、料理をつくったり、仕事をしたり、勉強をしたり、一つひとつのことが自然に行動に移せて、そして、楽しいという味わいをすることが本当の意味での「まず自分から」という境地なのだと確認させて頂きました。

【 一人ひとりの慈悲心から 】 
この春、熊本を中心に大きな地震が発生し、ご自身も被災して困難な生活をしているのにもかかわらず、自分のことはさておいて、毎日毎日、サンガの安否を気遣い、多くの方々のために奔走された本会の信者さんが大勢おられました。だれにいわれるまでもなく物資を届け、話を聞いて、一緒に涙して、苦しむ人を励まし続けた方々のなかのお一人は、「自分がなぜ寝食を忘れてそうするのか、自分でもわからないと」語っておられたそうです。

 「仏は慈悲して慈悲を知らず」という言葉がありますが、自らの心に突き動かされ、そうせずにはいられない。まさに仏性が開いた状態、菩薩の心根・思いやりの心・慈悲の心が開いて、自分も大変でつらいけど、自然と、今、目の前にいる人のために何かをさせて頂こう、そんな心に突き動かされてそうせずにはいられないという境地になった。だから、けっして苦しいともつらいとも感じない、むしろそのご縁を喜びと受けとめられて、自分が何かさせて頂けることが有難い、究極の幸福が感じられた。
 会長先生のお言葉のように、苦や悩みがあるからこそ仏を求めるという心が湧いてくるのだ。大変な時だからこそ、自分自身の中にある本来の尊い・美しい菩薩の心が開いて、喜びと受けとめ取り組むことができた。そんな気持ちでされていたのだということを確認してくださいました。

「まず自分から」と率先躬行(そっせんきゅうこう)し、あるいは「まず人さま」と心を砕き、まさに心の命じるまま、とらわれることなく、喜びをもって救いに奔走されたみなさんの、こうした話をうかがうと、一人ひとりの思いやりが実践にうつされたとき、そこにどれほど大きな安心がうまれるのかをあらためて教えられた思いがします。

 自分自身の心の中にある、魂の奥底にある人さまを思う心、また、思いやりの心そのものが迷うことなく、自然な形であらわされるから大きな安心が生まれるのです。それは人さまにも安心を与えられるし、また、人さまに安心を与えることで自分自身の心が安定していく。そのことが、尊いのだと思います。率先躬行とは難しい言葉ですが、人の先に立って、自らの意志で、物事を実行することです。自らの魂の中から迸(ほとばし)る、そんな心になることが大切なのだと思わせて頂きました。

「協力」という言葉の「協」の字には力をあわせ和合するとの字義があります。家族を労(いたわ)り、まわりの人を思って、「まず自分から」心を寄せ、力をあわせるなかに、みんなが気持ちよく生きられる平和な世界が訪れるのでしょう。
 一人ひとりの力は小さいかもしれないが、力を合わせて和合すると、それは大きな力になって、みんなが気持ちよく平和に生きられる世界をつくっていける。
 開祖さまの言葉を以前にも紹介しましたが、「一人では何もできない、でも、一人から始めなければ何もできない。その一人の思いが一人また一人と合わさっていくことによって、和合することによって、大きな力になる。」そのことが平和な世界をつくるためには大事なのだと教えて頂きました。

 また平和という意味では、積極的な行動だけがそのための「実践」ではなく、批判したくなるような人や許し難い人を包容していくこと、そういう意識の変革も、私たちの大切な実践行ではないでしょうか。

 会長先生の結びの言葉を頂き、大事なことを確認させて頂きました。本当に難しいことですね。いやだな、困ったなという人をも、受け入れていく、認めていく、そして最終的に許す、そのことも大切な実践行だと教えて頂きました。
 平和ということを考えた時、その人、その人、また一つひとつのことに思いをはせていき、心の奥底を見ていって、そのことを許せるような、受け入れられるような心をつくっていくことも大事なのだとかみしめて頂いたように思います。
 積極的な行動を起こしていく、まず自分からという実践の大切さとともに、時には、許し難いこと、受け入れ難いことを許していく、受け入れていくその心をつくっていくことも「まず自分から」という大事な行動につながっていくのだということをお示しいただいたように思います。

 八月、終戦記念の月を迎え、私たち広島の人間にとっては、八月六日を迎えるわけです。あらためて平和ということを考えた時に、まず、自分自身の心を平和にしていく、整えていく。やはり、自らの行法・実践行を通じて、教えに常に振り返り、自らの行ないを正しながら、少しでも、自分の今いる場所でできることを精一杯させて頂く、そのことが大事です。平和に向かっていく自らの心。家庭、地域社会の中で、少しでも、平和に向けて自分自身が積極的に率先して行動を起こしていくこと。そのようなことを心がけていくことが世界の平和につながっていく。このことをしっかりと信じて、また、一歩一歩、確実に、着実に歩ませて頂きたいと思います。
 菩薩の行ない、思いやりの実践、菩薩行ということを私たちは教えて頂いています。
もっとも尊い菩薩行は、尊い教えに出会えた私たちが多くの方に教えをお伝えする布教伝道だと教えて頂いています。下半期、後半に向かってこの教えを自らが実践し、お伝えし、一人でも多くの方にご縁づくりをしていく、そのことを一所懸命、まず、自分から率先躬行してさせて頂きたいと思います。
皆さんとともに、暑い夏ですが、心も熱く、人さまに教えを伝えていける自分でありたいと思います。今月も一ヶ月間、よろしくお願い致します。       


朔日参り(会長法話) | 18:00:00 | コメント(0)
わたぼうし(No.14) 2016年8月号より
平和への道、決意も新たに

 今年もまた、8月6日を迎える。昨年は、被爆70年の節目のときだった。
何かが変わるのだろうか?そんな思いの中で、ついにあの日が訪れた。
2016(平成28)年5月27日。現役の米国大統領としては初めて、オバマ大統領が「ヒロシマの地」を訪れたのであった。
 「71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界は変わった」とスピーチは始まった。そして、「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」と改めて「核兵器のない世界」を求める決意を語った。
「いつか証言する被爆者たちの声は聞けなくなる。それでも1945年8月6日の朝の記憶を風化させてはならない」と。さらには、「世界はここで永遠にかわってしまったが、今日、この街の子どもたちは平和に暮らしている。なんと、尊いことだろうか」と、平和を未来のすべての子どもたちに与えていく価値を確認してくれた。
 献花の後、しばらくの間じっと目を閉じていた。被爆者の肩をそっと抱き寄せ、手をやさしく握ったその心配りに感動した。テレビの画面を通しての限られた時間であったが、涙が自然とあふれてきた。
 時を同じくして、「第4回世界サンガ結集参拝」が開催された。開祖さまがわずか30人で始められた立正佼成会は、今や世界の20ケ国68拠点にサンガがいる。すべての人が幸せになり、世界が平和になるように、との開始さまの願いを受け継ぐ、我々一人ひとりの使命はとても大きい。ヒロシマの地に縁あるものとしての役割をしっかりと自覚して、まず足元から、自ら、平和の歩みを続けていきたい。青い空、白い雲。暑い夏が来るたびに、その思いを深くするのである。                 
                                                         合 掌
                             
                        広 島 教 会 長     齋 藤 高 市 


教会長メッセージ | 12:00:00 | コメント(0)

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