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訪問いただきましてまことにありがとうございます。
当ブログは、立正佼成会広島教会での活動の紹介と、その活動を通しての会員の喜びや気付きなどを紹介しています。
記事を読んでいくうちに興味がわきましたら、 是非コメントを頂きたいと思います。
運用担当者
広島教会
伝道メディア 藤川 裕子

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脇祖さまご命日式典のご案内
 明日、7月10日の脇祖さまご命日式典において、ご本部より、沼田雄司参務を広島教会にお迎えして、大法座のお手配を頂いております。
皆様、ご参集くださいますよう、お願い申し上げます。




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お知らせ | 14:29:30 | コメント(0)
雨にも負けず梅雨を快適に過ごす方法は
             kaeru 
 



梅雨になると、雨が降るのは当たり前だが、雨が降る事で、毎日の生活が面倒になってくる。気持ちも重たい。
雨が降る事によって生じる、日常生活の煩雑さが増えることや、温度湿度により、不快感が生じる。たとえばどこかに用事で出かけた時、急に雨が降ってきて、ずぶぬれになったら、一日中腹が立っておさまらないだろう。気持ちも気圧のせいか、一向に晴れない。梅雨の生活の仕方はむずかしい。湿度が高いのでカビは生えるし、昆虫は活動してきて、蚊もでてくる。草は生い茂り、刈るのが大変になる。自然は喜ぶが、人間社会の人工的なぶぶんでは、厄介な季節である。
不平不満を相当書いた。
【雨にも負けず】と思うのだが、凡人の私へこたれてしまいそうである。
宮澤賢治の詩を英訳と共に下記にのせておく。心が楽になる詩だ。宮澤賢治も人間、いろいろな心の移り変わりがあったのだろうが、彼は、具体的に一つ一つ自分の希望、目標を詩に託している。飾らない言葉がやさしくきこえる。


 

ロジャー・パルバース先生の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」英語訳

STRONG IN THE RAIN (By Kenji MIYAZAWA / Translated by Roger Pulvers)

Strong in the rain

Strong in the wind

Strong against the summer heat and snow

He is healthy and robust

Free of all desire

He never loses his generous spirit

Nor the quiet smile on his lips

He eats four go of unpolished rice

Miso and a few vegetables a day

He does not consider himself

In whatever occurs…his understanding

Comes from observation and experience

And he never loses sight of things

He lives in a little thatched-roof hut

In a field in the shadows of a pine tree grove

If there is a sick child in the east

He goes there to nurse the child

If there’s a tired mother in the west

He goes to her and carries her sheaves

If someone is near death in the south

He goes and says, ‘Don’t be afraid’

If there’s strife and lawsuits in the north

He demands that the people put an end to their pettiness

He weeps at the time of drought

He plods about at a loss during the cold summer

Everybody calls him ‘Blockhead’

No one sings his praises

Or takes him to heart

That is the sort of person

I want to be

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに

わたしはなりたい






hasu 






                                                                                                                                                                                五日市支部 Y.O





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伝道メディアより | 11:06:59 | コメント(0)
わたぼうしNo.19 (2017年6月号)より
まず人さま。思いやりの心で世界が変わる

 六月になり、一年の丁度折り返しの時を迎え、下半期に向けての決意を新たにする時でもあります。改めて、今年の年頭ご法話をかみしめさせて頂くと、人としてのいのちを授かったことへの感謝と尊いみ教えに出会えていることへの感謝ということでした。すべての事が、あること難し。内のが当たり前なのに、あらゆる恩恵、宇宙の一切合切のお陰さまを頂いているのです。何かの代償ではなく、ありのままのすがた(人間の実相)に感謝するのが本来の釈尊が教える感謝ということでした。感謝のできる人間になることが究極の私たちの目標であるとも教えて頂きました。
 日々精一杯生きる。自他共に尊重し、調和して生きる。親孝行・先祖供養の実践。そして、仏法と出会えた悦びを一人でも多くの人に伝える。これらの実践が、日常生活で感謝を表現することであるとお示し頂きました。後半戦への第一歩は、観音さまの様な、慈悲の心・人に対する思いやりの心で、他の人の幸せを喜べる私作りを目指したいと思います。
                                                       合掌
                                             教会長  齋藤高市


教会長メッセージ | 12:00:00 | コメント(0)
『佼成』会長法話  平成29年6月号
会長法話 愚痴をいわないを拝読して      ( 6月1日 )

齋藤教会長ご講話の要旨

【 「知っている」という思いこみ 】

  「愚痴」という二文字はどちらも「おろか」という意味がある。知が病気になっていることによる「おろかさ」(自分の知っていることがすべてと思いこみ、全体がよくわかっていない「おろかさ」)と、まわりくどく、心のはたらきの鈍い「おろかさ」を示している。また、愚痴には「いっても仕方がないことをいって嘆くこと」という意味がある。
いってもムダと知りつつも不平不満をいい、ときには思いどおりにならないことを人のせいにしてまで愚痴をこぼす私たち。なぜそこから抜けだせないのかといえば、自分の知っていること、思っていること、考えていることが「絶対に間違いない」という錯覚にとらわれているから。まさに、「私は知っている」という病気にかかっている。
自分の価値観に相手を合わさせようとしたり、自分が絶対だという思いこみから愚痴になる。その無明の私に気づいていくことが大事。

【 道理がわかれば 】

 「私が正しい」「私は知っている」という自己中心を反省することができれば、不満や文句が少なくなり、「仏の説法」と受けとれる智慧の心がはたらく。
 そういう心のはたらきを自分のものにする方法は、「真実の道理」を知ること。この世のあらゆるものが、一つにつながるご縁によって生かされているという事実。その恩恵を受けて、いま自分がここに存在するという有り難さ。このことが明らかになり、感謝できると、愚痴は出てこない。天地自然の道理がわかれば愚痴はいえなくなるということ。
 宇宙の一切合切のお陰さまで生かされているということを謙虚に受けとめ、いのちの実相(ありのままのすがた)に感謝をするのが「有り難し」ということ。
 愚痴が出そうになったときでも、観音さまのような慈悲の心・人に対する思いやりの心が、自分勝手な行動を押しとどめてくれる。本来自分の中にある慈悲の心・思いやりの心に気づき、その心をたくさん育てていくことが大切。そして、その心で人にふれていくという実践行をさせて頂く。
 それでも愚痴をこぼしそうになったら、「智慧がはたらくチャンスだ」と気持ちを明るく切り替え、読経供養をとおして心を見つめなおして、真理にそったものの見方・受けとめ方に立ちもどればよい。愚痴の予防薬として、智慧を身につけ、真理を認識できる自分になっていくためには読経供養等の基本信行が大切。
下半期スタートの6月。尊いいのちを頂いたこと、み教えに出遭えたことへの感謝を表していく。80周年に向けて、開祖さまのお心を次の世代へ伝えていくことを決定していく大事な時。皆さまと共に修行精進させて頂きたい。

齋藤教会長のご講話を聴かせて頂いて

 自己中心の心が湧いたら、「腹が立ったらお経を読もう」という日めくりのことばを思い出し、朝夕のご供養を大切に、思いやりの心で人とふれあえるよう、努力させて頂きます。
                             合掌
                                           文責 Ma




朔日参り(会長法話) | 10:30:00 | コメント(0)
『佼成』会長法話 平成29年5月号
会長法話 「させていただく」を拝読して

齋藤教会長講話の要旨
 今月は会長先生より、「させていただく」というご法話をいただきました。

【 無限のつながりのなかで 】
 
私たちは、無限のつながりの中で生かされていて、縁起の教えを頂いるわけですが、「させていただく」について、工学博士、ロボット博士として知られる森政弘先生からつぎのように教えて頂きました。

「仏教では『させていただく』という受け止め方をするが、それは、なにごとも自分の力だけではできないからである」

ロボットというものをつくることによって人間というものを考え、科学と仏教を一緒に考えてこられた森先生らしいおことばです。

 たとえば、自分の力で立っていると思っている人も、「じつは大地の支えや重力があるからであって、何をするにしてもただ一つの原因とか、自分だけの力によるのではなく、他の力などによって可能なのである」というのです。 

 会長先生の年頭ご法話の中にも太陽の光、水、空気、動植物など、宇宙の一切合切のおかげさまで私たちは生かされているんだというお話がありました。また、私たちは自分の力で生きているのではなく、両親や祖先はもちろん、周囲の人々のおかげさまで、生かされている。そして、さらに、手が動く、歩ける、食事ができる、呼吸ができる、話せる、眠れるなど、すでにめぐまれていることがたくさんあるということをお話し下さいました。

 本当に、あらゆるもののおかげさま、他の力によって生かされている、自分だけの力ではないんだということをロボット博士も確認してくださいました。

 曹洞宗の青山俊董師は、そのことを「世界の一切のことはどんな小さなことも漏れることなくぶっつづきに、あいかかわりあって存在する」とわかりやすく説かれています。 根が土の中で栄養を吸っているから花は咲く。ものごとはすべて、かかわる縁の作用で生じたり滅したりするーすなわち縁起ということです。このような宗教的な世界観から生まれた表現が、「させていただく」なのです。
 ある教会長さんが、文化庁の中に「させていただく」ということばが定義されていて、相手(他者)の許可をいただいてすることを、「させていただく」、もっと言えば、神仏にお仕えさせて頂くという意味合いもあるということを分けてくださいました。また、日常的に使っているが、神仏に仕えていくという心をあまり意識したことがなく、そういう気持ちが抜けていたなとお話しくださいました。

 欽司郎先生が、よく縁起の話をしてくださる時に、「持ちつ持たれつ、すべてが支えあっているということなんだ」とおっしゃっていました。持ちつ持たれつの世界、それは、宗教的世界観からいうと、「させていただく」ということなのであります。

 この言葉には、「生かそう、生かそう」とはたらいてくださる大いなるものに対する、感謝の念が含まれているといえます。「おかげさまでさせていただくことがができます」という気持ちです。

 また、「させていただく」は、自分の行ないを謙虚に表現する場合にも使います。そのとき、口にする側と聞く側に、気持ちのずれが生じることもあるようです。「表面的にはていねいだが、思い上がった物言いに聞こえる」とか「謙虚なようで自己をアピールしている」と受け止められることもあるのです。そのような誤解が生まれるのなら、より主体的に「させてもらいます」と伝えるほうがいい場合もあるように思います。

 「あらゆるもののおかげさまで」という気持ちから、自然に「させていただく」といえる私たちでありたいものであります。

 会長先生からその様な目標も示して頂いているのだと思わせて頂きました。

【 仏さへの感謝 】
 私たちは、ふだん何気なく「させていただきます」と口にします。それは、「おかげさまでとりくむことができます」「させていただけることがありがたい」という気持ちのあらわれです。この「おかげさま」や「ありがたい」を忘れてしまうと、「している」とか「してやる」といった自我が顔をだします。

 「させていただく」の前後に「おかげさまで」や「ありがたい」ということばを一緒に言わせて頂き、くり返し、くり返し、形をととのえていくと、縁起観ですから、自然とおかげさまで有難いという縁に自分自身がなっていくのです。実践しながら、身につけていくことが大事なのです。 
 たとえば、今日もお当番に来させていただいてありがたい。本部参拝のおかさまで、元気で本部に行けることがありがたい。
           
「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていくと、縁起の教えがしっかりと胸に刻まれ、薫習、薫染と教えて頂くように、少しずつ、少しずつ身についてきて、そして、いつしか、いつでも心からそう言えるようになるのではないでしょうか。理想をいうと、そうなれば「させていただく」その感謝の実践は、仏・菩薩の遊戯三昧のような、とらわれのないうれしさ、楽しさにつながりそうです。

 そして、「させていただく」ことがうれしく、楽しくなって、仏・菩薩の遊戯三昧のような、条件とか、環境とかではなく、自然とうれしいな、楽しいなそんな思いにつながるようなとらわれのない境地になっていくことが理想であると、確認して頂きました。

 心から「させていただきます」といい、神仏への感謝の念をもってとりくんでいることでも、それが必ずしも喜びや楽しさに直結しないケースもあるでしょう。つらい、いやだ、苦しいという気持ちになってしまうこともある。愚痴や弱音を吐きたくなるときがあるのも自然なことですよ!と、会長先生はいつもやさしく私たちを救ってくださいます、その様なお心を感じる一節ですね。

 だからこそ、信仰をもつ私たちは、日頃の生活の中で仏さまへの帰依の念を養い、「大いなるものに生かされている自分なのだ」という自覚と感謝に目ざめることが大事なのだと思います。

 すべてがはからいの中にある。生きとし生けるものすべてが仏さまと同じ尊い存在だ、仏性ありきということをしっかりと、くり返し、くり返し学び、仏さまの、また、教えの尊さに、帰依の念を養っていく。生かされている尊いいのちであるということを自覚し、宇宙の一切合切、ありとあらゆるもののおかげさまと感謝をしていく。日々の生活、修行、精進を通しながら、自覚と感謝を新たにし、そのことに目ざめていくことが大事なのです。

 あらためて、今年は会長先生より「有り難し」という心になれることが大事であり、宇宙の一切合切に、生かされている、そして、おかげさまのなかに有り難しを感じていくことが大事だとご指導いただいています。

 会長先生は、今年の年頭ご法話を毎月のご法話の中でより細かく、かみくだいて、私たちにお示しくださっているのだと思わせて頂きます。そして、その大本は、「真因」というお書初めで示してくださった様に、「悟りに至る真実の原因は、みんな一人ひとり、自分自身がもっているんですよ」ということでした。幸せになるのも、不幸せになるのも、自分自身が選択して決めていくことなのですよ!その真因としての自分の自覚と感謝をしっかりともって、謙虚に少しでも人さまのためにさせていただくことが大事なのですよ!と教えて頂きました。
 その様な意味で、教えを伝える布教伝道により一層力を注いでいける私たちでありたい!と思わせて頂きました。

 今朝、御供養の後に今日一日のお誓いのことば、「明るい気持ちで無事にこの日を迎えさせていただいた感謝を呼び起こしましょう。」を読ませていただきました。
 一日を迎え、また新たな一カ月のスタートです。今日、本当に明るい気持ちで無事にこの日を迎えさせていただいた感謝を呼び起こしていこう、それが、この月の初めの一日の大事な心構えですよと教えていただいたような気がします。
 本当に、一日一日、私たちは、過去も未来も生きられない、今しか生きられない。だからこそ、目の前にあること、今日一日の出会い・ふれあい、一つ ひとつのご縁を大切にしていく。そんな中で、精一杯、この教えに出遇えた悦びを伝えていくということが私たちにできる慈悲の実践、菩薩行としての一番大事なことだと教えて頂いています。
 また、しっかりとその思いをお互いさまに深めながら、布教伝道に向かっても感謝の心でさせていただく、そんな一人ひとりでありたいなと思わせて頂きます。
 また、今月も皆さんとともに、明るく、楽しく、ありがたく修行させて頂きたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。     合掌

齋藤教会長のご講話を聴かせて頂いて

 「させていただく」ということばの持つ深い意味を学ばせていただくことができました。「おかげさま」、「ありがたい」を忘れず、まず、形から、くり返し「おかげさまで、させていただけることがありがたい」と口にしていき、心からそう言える自分になれるよう、修行精進させていただきます。ありがとうございました。
                                          文責者    Y . F


朔日参り(会長法話) | 12:00:00 | コメント(0)
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